おちてしまった…
ダメなのに…まだ早いのに…
貴方が好きだと気付いてしまった……
「社さん!」
事務所で社の後ろ姿を見つけ、思わず声をかける。
その後、きょろきょろと周りを見回した。
「やぁ、キョーコちゃん。奇遇だね!もしかして、蓮に用?蓮なら駐車場で待って…」
「いえ、違います。社さんに用があったんです」
「俺に?」
残念そうに肩を落とす社にキョーコは「もしかして、ご都合悪いですか?」と尋ねる。
その言葉に失礼な態度だったと気付いた社はぶんぶんと首を振った。
社としては蓮目当てでないことが残念だったのだが、今の態度は誤解されかねない。
「いや、大丈夫だよ!あと、そうだな…10分くらいなら」
「でしたら、お手数ですがラブミー部の部室までお越しいただけませんか?」
「えっと、ここじゃ話せない内容?」
「はい」
しっかり頷いたキョーコに社は「わかったよ」と笑顔で承諾する。
用件が何であれ、キョーコの情報はあればあるだけ良い。
その場所からそう遠くなかった部室まで二人で向かう。
キョーコが先に入り、その後に社が入ると、キョーコはカシャンと鍵を閉めた。
「え…?」
「誰にも聞かれたくありませんので、念のために」
「そうなの?でもさ、男と二人でいる時に不用心に鍵を閉めたりしない方が良いよ?」
「わかってます。でも、すぐ、済みますので…」
どこか様子がおかしいキョーコに社はそれ以上は何も言わず、頷いた。
それを確認したキョーコはまっすぐ社の目を見つめると意外なお願いをした。
「今決まっている範囲でいいので、敦賀さんのスケジュールを教えていただけませんか?」
「え?」
そんなこと?と拍子抜けした社は、目を瞬きさせる。
今までにも何度か教えたことがあるため抵抗感はないが、しかし、マネージャーとして理由もなく教えるわけにもいかず理由と尋ねる。
「ダメじゃないけど、何で?」
「…言わなければいけませんか?」
「そりゃね。俺は蓮のマネージャーだし。キョーコちゃんが蓮のスケジュールを悪用するとは思わないけど、マネージャーとしてそこはきっちりしないといけないからね」
「そうですよね…」
「…キョーコちゃん?」
やはり、様子がおかしい。
今までなら、スケジュールを知りたい理由をあっさり教えてくれたのに。
ここまで躊躇う理由は何だ?
社は俯くキョーコを不審げに見遣る。
言えない理由が「悪用するから」とか、そんな理由ではないとわかっている。
まだ1年の付き合いしかないが、キョーコの本質はわかっているつもりだ。
だから、何か変なことに巻き込まれているのではないかと心配なのだ。
「キョーコちゃん…何でか、“言えない”?それとも“言いたくない”?」
「…“言いたくない”、ですね。でも、そういうわけにはいきませんよね」
わかってます、と頷くキョーコ。
そして、顔をあげると真剣な表情で社を見た。
「私、敦賀さんが好きなんです」
「え?!」
まさかの告白に社は驚く。
今までそんな素振りは…あったような、なかったような…
「えっと、じゃあ蓮に告白したいから、空きの時間が知りたいの?」
そういうことならお任せ!とキラキラした目で見つめてくる社にキョーコは苦笑すると首を横に振った。
「告白する気はないんです」
「えぇ?!何で?」
蓮からのアクションは期待できないとここ半年ほどで学んだ社は、キョーコからのアクションに期待したためズガンと落ち込む。
せっかく両思いなのに、もったいない…
そう思っても仕方ないだろう。
どうにか気を変えることはできないかと社はキョーコを見る。
「キョーコちゃんからの告白なら絶対あいつ喜ぶよ?あいつ、キョーコちゃんのこと大好きだし!」
フライングだとは思ったが、そう伝えると、キョーコは目を瞬かせた後再び苦笑した。
「後輩として、ですよね?」
「そうじゃなくって…」
「仮に!…仮に、敦賀さんが私をそういう意味で好きだと言ってくださっても、私は応えたくないんです」
「応えたく、ない?」
眉を寄せる社に頷くキョーコ。
「敦賀さんのことは好きです。恋愛感情で好きなんです。でも、ダメなんです」
「ダメって何が?」
「私、一つのことに夢中になると、他のことが見えなくなる性質なんです。大好きな演技のことだって、きっと霞んでしまう…それが嫌なんです。私はまだ“最上キョーコ”を作っている途中なのに、敦賀さんを好きでいるとそれが壊れてしまう。“私”を捨てて、敦賀さんだけを求めてしまう。今持っている全てを捨てて追いかけてしまう…。私は演技者でいたいんです。芸能界[ここ]で“私”を作りたいんです」
「キョーコちゃん…」
「だから、敦賀さんがどんな答えを出そうと私には関係ないんですよ」
「関係ないなんてっ」
「関係ないんです。敦賀さんが誰を好きであろうと私は敦賀さんが好きで、そして私を壊してしまえる敦賀さんが恐い」
泣きだしそうな表情でそういうキョーコに社は何も言えなかった。
「そんなことはない、キョーコちゃんなら大丈夫だよ!」と言いたかったけど、根拠のない励ましなんて求めてないとわかってしまったから…
本音を話してくれているキョーコに上辺だけの言葉なんてかけたくなかったのだ。
「だから、閉じ込めておくんです。まだ私には早い…復讐も自分探しも何も達成してない私には恋はまだ早いんです。恋愛への恐怖も残ってる今、敦賀さんを好きでいることは恐怖でしかないんです。私にはまだ時間が…自分を作る時間が、心を癒す時間が、広い視野を育てる時間が必要なんです」
「キョーコちゃん…」
「だから社さん。お願いです。敦賀さんを避けるためにスケジュールを教えてください。少しでも私に情があるなら…“京子”を惜しんでくれるなら…敦賀さんと会わないようにさせてください」
深々と頭を下げるキョーコに社は複雑そうに顔を歪めた。
キョーコのお願いは聞いてあげたい。
情なんて…あるに決まってる。
“京子”のこれからにだって期待してる。
だけど、蓮のことを考えると……
「………ねぇ、キョーコちゃん」
「…はい」
「蓮にも話していい?君が蓮に会いたくない理由を。そうじゃなきゃ、あいつが納得しない」
「……社さんが必要だとおっしゃるなら、構いません。敦賀さんからしたら、誰かから好かれるなんて日常茶飯事ですし、そんなことで演技者として揺らいでいる私なんて馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんけど、理由なく後輩から避けられるなんて不快に思われるでしょうし…」
「きょ、キョーコちゃん!別に蓮は馬鹿馬鹿しいなんて…」
「いえ、きっと思います。『君は学習能力がないのか。恋なんてしないなんて言っていたのにした上、相手が俺?身分不相応はなはだしいよ。しかも、演技に影響を出すなんて役者失格だね』と言う敦賀さんが目に浮かびます」
「………」
本当にこの子は蓮が好きなのか?
そんな鬼のようなイメージなのに…
思わずそう思ってしまう社。
否定するのも忘れるほど、キョーコの中の蓮像が酷い。
「お前、まだこんな印象なのかっ」と泣きたくなってしまうほどだ。
「…蓮はそんなこと言わないよ?」
「社さんは優しいですね」
「………」
泣きたい…泣いてしまいたい。
ごめんよ、蓮!
俺にはキョーコちゃんの思い込みを正すことはできないよ!!
自分でどうにかしてくれ!
「社さん?」
「…いや、なんでもない」
心の中で泣いている社を不思議そうに見るキョーコに、社は表情を取り繕ってなんでもないのだと伝える。
「わかった…後で蓮のスケジュールをメールで送るよ。代わりに、理由を蓮に話すからね?」
「はい。よろしくお願いします」
キョーコはもう一度深く深く頭を下げた。
社はそれを悲痛な目を見つめながら「わかった」としっかり頷いた。
好きだと言って
好きだと言われて
何でハッピーエンドにならないんだろう?
「やってくれるな、ルーク?」
拒否権は、なかった。
その言葉は問いではなく、確認。
ルークの意思を尊重するのではなく、捩じ伏せる言葉。
「……はい」
それ以外、何が言えたのだろう?
視界の隅で顔を強張らせている恋人が見えたが、ルークはそこから意識を切り離した。
を見ていたらきっと言いたくなるから…
「嫌だ…やりたくない」と。
だから、意図的に見ないように視界から外した。
好きだと言って
好きだと言われて
何でハッピーエンドにならないんだろう?
「皆の命を俺に下さい!俺も…俺も一緒に…っ」
地面にローレライの剣を刺し、超振動を発動する。
途端、レプリカたちが淡い光を放ちながら、透けて、そして消えた。
残ったのは自我が発達し、レプリカの代表としての役割を担っていたマリィベルのレプリカと超振動を起こしたルーク。
そして、少し離れたところにいるパーティーメンバーとアッシュ、そして……
「俺も一緒に、逝くから」
ルークはそう言って透けた腕をマリィベルに伸ばした。
その言葉にマリィベルも微笑みながら手を伸ばす。
「だから…さよなら、 」
もう感覚のない首を動かして、最後の最期に愛した恋人だけを見た。
愛してくれてありがとう。
愛すことを教えてくれてありがとう。
俺は、幸せでした。
レプリカたちと心中するのは凄く嫌だったけど…
まだ生きていたかったけど…
世界を救うってことは を守れるってことだから…だから、後悔はない。
ありがとう…さよなら。
幸せになって…どうか、どうか、幸せに……
好きだと言って
好きだと言われて
何でハッピーエンドにならないんだろう?
彼がレプリカだったから?
彼が超振動を使えたから?
私に彼を助けられるだけの地位も権力もないから?
私はどうすればよかったんだろう…
彼を連れて逃げ出せば良かったんだろうか?
わからない…私には、わからない……
好きだと言って
好きだと言われて
何でハッピーエンドにならないんだろう?
「キョーコちゃん。悪いけど、今日は一緒に来てくれないかな?」
朝、迎えにきたついでに朝食を相伴になった社さんは、てきぱきと食器を片づける彼女にそう言った。
その言葉を聞いた彼女はきょとんと目を丸くし、予定より早く来たのはこのためか…と俺は目を細める。
「…その必要がありますか?」
「あるよ。会社を通さず蓮が直接雇ってるからわざわざ報告の必要はないかもしれないけど、あの人の許可を得とかないといざって時大変だぞ」
「……そうかもしれませんが」
「大丈夫だ、蓮。あの人はラブモンスターだからな…」
社さんの言葉に思わず眉を寄せる。
別にそういうのじゃないって言ったのに…
キョーコちゃんは大切で幸せになってほしい(けれど、彼女の中に俺がいることが前提な)女の子だけど、彼女に対して抱いてるのは恋愛感情なんて甘くて優しい感情じゃない。
もっとドロドロした醜い感情だ。
恋でも愛でもない…ただの独占欲と執着心。
今の状況は、俺[久遠]を知っている彼女を手放したくないと我が儘な俺[過去]が見苦しく手を伸ばした結果だ。
そう…決して恋心ではない…
だって俺は大切な人は作れないんだから…
「あの…あの人ってどなたですか?」
「あ、ごめんごめん。社長のことだよ。LMEの」
「社長さん?」
「そう。俳優って人気商売だから、年頃の女の子と同棲してるなんて世間に知れたらどうなるかわからないしね。だから、もしばれた時に助けてもらうために社長に報告しておこうと思って」
「社さん…同棲ではなく同居です」
「というか居候です…」
同棲という発言につっこむ俺とキョーコちゃん。
…居候って言い方、なんか嫌だな。
「はいはい。ごめんごめん」
謝ってるはずなのに目が笑ってる…本気で謝ってないな。
どうせ、「そんなこと言っても俺にはお見通しだぞ!」とか見当はずれなこと思ってるんだろう。
「やっぱり…私、お断りした方が……」
「ま、待って、キョーコちゃん!」
しゅんと落ち込み、俯く彼女に社さんが慌てて声をかける。
「そういう意味じゃないよ!むしろ、辞められたら困る!!」
「俺の命がっ…」ってどういう意味ですか、社さん…
貴方とは話し合いの余地があるようですね…。
そんなことを思ってると、社さんとキョーコちゃんの顔が青くなった。
社さんはともかく、何でキョーコちゃんも?
「あ、あああああのっ!も、もしかして、何か怒ってます?」
「…怒ってないよ?」
「うっ嘘ですぅ~~~!!目が笑ってません!…はっ!もしかして、一度引き受けたくせに辞めようとするなんて、人としてどうなんだとか、優柔不断すぎるとか……」
…この子の中で俺のイメージってどんな感じなんだろう?
過去の俺[コーン]は妖精なんだから、悪くないはずだよな……?
もしかして、俺の家[ここ]で働かせるために多少強引だったから、そのせいかな…
「そんなこと思ってないよ。ただ、君が辞めたら、また元の食生活に戻るのかなって思って」
「私が辞めたら戻るって…自分で改善する気、皆無ですか…」
「だって、必要なカロリーさえ取れば問題ないし。まぁ、君の美味しい料理なら食べる気になるけど」
そう言うと、彼女は咎めるように睨んでくる。
が、身長差の関係でどうしても見上げる形になるため、俺には上目遣いで見つめられているようにしか見えない。
可愛いなぁ…
「ほら!蓮もこんなこと言ってるし!キョーコちゃんに辞められたら、俺も困る!!」
「はぁ」
「住み込みであることは最初から聞いてたんだから、断ってほしかったら蓮に話を聞いた時に反対してるって!」
「だから辞めるなんて言わないでくれ~~~」と社さんは涙目になってキョーコちゃんに縋る。
肩をがしっと掴み、先程より彼女の近い距離にいる社さんにむっとする。
近すぎますよ、社さん!
思わず社さんをべりっと彼女から引き剥がし、態勢を崩した彼女を抱きしめるような形で受け止めた。
「ひゃあっ!な、何するんですか、敦賀さん!!」
「…ごめんね?」
にっこりと笑ってごまかすと、彼女は蒼白になった…失礼な。
自分でも何故こんな行動を取ったのかわからない…
「放してあげて下さい」と一言社さんに言えば良かっただけの話なのに、言葉を発するより先に身体が動いた。
それほど、社さんが彼女に触れている状況が不愉快だった。
…俺って、すごく独占欲が強いのか?
「で、キョーコちゃん。辞める…なんて言わないよね?」
そう尋ねると、彼女は蒼白になったままぶんぶんと首振り人形みたいに縦に首を振った。
肯定してくれたことにほっとして再び微笑むと、今度は普通の表情に戻る。
同じ笑顔なのに、何故それに対する反応が違うんだろう?
彼女の基準がよくわからないな…
「良かった。じゃあ、これからもよろしくね」
「はい…」
こくりとしっかり頷いたことを確認して、彼女を抱きとめていた腕を外す。
温もりが腕の中から消え、それをどこか残念に思った。
「え~っと…そろそろ話を戻してもいいか?」
「……えぇ」
恐る恐る話しかけてきた社さんに頷いて見せると、何故かほっとした様子で息を吐いた。
そういえば、さっきみたいな行動を取ったらからかうと思ったのに、反応しなかったな…
どうしたんだ?
「で、大丈夫かな?今日、ついてきてもらっても…」
「はぁ。別に用事もありませんし、構いませんが」
「そっか!良かった。じゃあ、悪いけど出かける支度をしてもらえるかな?」
「はい!」
社さんの言葉に頷くと、先程以上に素早い動きで食器を洗い、拭いていく。
早い分、雑になってもおかしくないのに、食器はピカピカ。
片づけていくのも手際が良い。
もしかして、家主である俺よりキッチンに慣れてるかも…まだ2日目なのに……
それが嬉しいと思う俺がいて、何故そう思うのか自分でもわからなかった。
役者として、自分の感情がわからないというのは致命的だ…けれど、この感情を追求してはいけない気がした。
「あ!キョーコちゃん!」
「はい?」
「特技とかある?」
「特技ですか?…まぁ、ないことも…」
「それってどこでもできる?」
「道具さえあればできますけど、それがどうしたんですか?」
不思議そうに尋ねるキョーコちゃんに社さんは困ったように笑った。
「実は、LMEの面接は特技披露が必須なんだ。キョーコちゃんは直接LMEに所属するわけじゃないから必要ないかもしれないけど、念のためにね」
「そうなんですか…わかりました」
キョーコちゃんは納得したように頷き、シンクの下の棚を開けると、そこから引っ越してきた初日に1度見ただけの包丁を取り出し、刃をじっと見た後(刃こぼれがないか確認したらしい)タオルでくるくると巻いた。
それから冷蔵庫に向かい野菜室を開けると、何故かそこから大根を取り出す。
「キョーコちゃん?」
「敦賀さんの家って、料理しない割に調理器具は揃ってますよねぇ…薄刃包丁なんて一般家庭には滅多にありませんよ。もしかして、昔の彼女さん、お料理上手だったんですか?」
「いや…女性を家に上げたことはないよ。それは備え付けなんだ――じゃなくて、何で包丁と大根?」
「あれ?想像つきません?」
「…うん」
「俺、多分わかった…と思う」
わかったと言う割に、自信なさそうにそう言う社さん。
包丁と大根で想像つくものっていったいなんなんだろう…?
普通に料理、だったら他の食材も持って行くよな?
「ふふっ、わからないんでしたら、後のお楽しみにしておきましょうか」
わからず首を傾げる俺と自信なさげな社さんに、キョーコちゃんは楽しそうに笑った。
「ほぉ~、この子が蓮の、ねぇ…」
事務所について、すぐに社長室に向かった俺たちは、いつも通り仮装している社長に出迎えられた。
俺と社さんは慣れてるから驚かなかったが、初対面のキョーコちゃんはぎょっとして、無意識に後ずさりしていた。
…うん。
これが正常な反応だよな……
慣れてしまった自分が悲しい。
「は、初めまして。最上キョーコと申します」
我に返った彼女は、姿勢を正し、社長に向かって綺麗なお辞儀をした。
「初めまして。俺がLMEプロダクション社長のローリィ宝田だ」
対する社長も、意外とまともな挨拶を返した。
…かと思えば、次の瞬間俺に向かってにやぁ~といやらしい笑みを浮かべた。
「るぇ~ん~。お前、浮いた噂がないからてっきり(あっちで女食いすぎて)女に興味がないのか(枯れたか)と思ってたが…」
「そんなのじゃありませんって。彼女は幼馴染で、仕事を探してるって言うから俺の食事を作ってほしいって頼んだんです。別に他意は…」
「食事、ねぇ…。なぁ、最上くん。空腹中枢が壊れてるとしか思えないこいつに食わせることはできそうか?」
「はい。お話をいただいた時に、マネージャーの社さんが困るくらい食べないとお聞きしたので心配していたのですが、昨日の夕食も今朝の朝食もしっかり完食されていました」
「お!それは凄いじゃないか!!」
素直に感心する社長と頷く社さん。
…そこまで感心されると複雑なんだが……
「そうなんですよ!あの蓮がキョーコちゃんの料理は残さず食べたんです!俺も相伴に預かったんですけど、すっごく美味しくて…プロ顔負けって感じでした!!」
「残さずに、か。成る程…蓮に食べさせることができるなら、専属の料理人に相応しいかもなぁ…。因みに、最上くん」
「はい」
「免許は持っていないと社から聞いているが、栄養バランスを考えたりカロリー計算をしたりはできるのか?」
「はい、できます」
「…それは何故、と聞いても?」
「……私の育ったところは京都の老舗旅館なのですが、そこで板長直々に料理を教えていただいたので…。上京してからも、バイト先の居酒屋で教えを受けていましたから」
「成る程。『習うより慣れろ』ってか…」
ふむふむと頷く社長。
…『ならうよりなれろ』ってどういう意味か、後で調べよう。
「…ところで最上くん」
「はい?」
「何か特技はあるか?」
社長がそう尋ねると、キョーコちゃんは持ってきた鞄からタオルでぐるぐるに巻いた包丁と大根を取りだした。
社さんはこころなしかわくわくしたような顔でキョーコちゃんを見つめている…なんだか、むかむかするような気がする……けど、気のせいだよな?
「最上キョーコ、大根で薔薇を作ります!!」
ぱぱっと大根の上下を切り落として真ん中だけ残すと、必死な形相で大根を剥き始めた。
薄く薄く剥かれていく大根を呆気に取られて見つめる…
大根ってそんなに薄く剥けるものなのか?透き通ってるぞ??
俺だけでなく、社長も社さんも驚いたような表情をしてキョーコちゃんを見ていた。
「あ……剥きすぎて、葉牡丹になってしまいました……」
剥いて花のような形になった大根を持ちあげ、困ったように眉を下げる彼女。
いやいや、残念に思うことじゃないだろ!
途中で失敗して剥けなかったならともかく、剥きすぎはマイナスにならないはずだ。
「いや…これはこれで綺麗だ」
思った通り、社長は褒め言葉を口にし、まじまじと大根を見る。
「桂剥きだとは思ってたけど、これほどなんて…」
社さんも感心したように呟き、「凄いよ、キョーコちゃん!!」と彼女を褒め称えた。
俺も2人に遅れは取ったものの、「凄い特技だね」と心から思ったことを口にした。
俺たちからの賛辞にキョーコちゃんは一瞬驚いたような表情をした後、てれてれと頬を赤く染め、可愛らしく照れる。
それを見て思わず手を伸ばしそうになった俺は、慌てて腕を組む。
何で手を伸ばそうとしたんだ、俺…?
そんな俺を見てにやにやしている社長に気付かないほど、この時の俺は混乱していた。
「…ふむ。これだけできるなら、料理も本当に得意だろうな…よし、わかった!君を蓮専属の料理人として認めよう!そろそろこいつにも浮いた噂の1つや2つ欲しいと思っていたところだし、何かスキャンダルが起きてもLME[こちら]で対処する。だから、君は安心して蓮に食べさせてやってくれ」
「あ、ありがとうございます!」
「ただ1つ確認したいことがある」
「確認したいこと?」
首を傾げるキョーコちゃん。
俺と社さんは何が聞きたいのかすぐにピンときた。
ラブモンスターである社長はあの問いをしないわけがない…
そう思って社長の問いを待っていると、社長は何故か俺たちを見て扉の方を指した。
「…出ていろと?」
「あぁ。別に前言撤回したり、彼女に酷いことを言ったりはしないから安心しろ!」
「…別にこのままいたって問題は……」
「いいから2人とも出ていろ」
社長がそう言うやいなや、執事の彼が俺と社さんを扉の外に連れ出し、そのまま扉に寄りかかるようにして入れないよう扉を塞いだ。
主の望みを十言わずとも叶えるのは流石だが、この場合はその行動が憎たらしい。
『愛とは何か』と聞かれて彼女が何て答えるか興味があったのに…
そう思いながら彼を睨んでいると、彼はさっと扉の前から退き、扉を開けた。
睨んだのが効いたのか?と思ったが、そうではなく、中での話が終わったから開けただけらしい…どこまでも優秀な人だ。
「外でやきもきしていたようだなぁ、蓮」
にまにまといやらしい笑みを浮かべる社長がかなりいらつく。
そんな俺の感情の動きに気付いているだろうに、社長は笑みを崩さない。
代わりにキョーコちゃんと社さんが怯え出し、慌てて怒気を抑え込んだ。
「実はなぁ、彼女には『ラブミー部』に所属してもらうことになった」
「はっ?!『ラブミー部』は愛に欠陥のある“芸能人を目指す”人が入る部門でしょう?彼女は芸能界を目指しているわけではありません!」
「そうだが、『ラブミー部』ならお前の食事係だけじゃなくて依頼さえすれば付き人にもできるんだがなぁ?」
「うっ…(それは願ってもないかも…)…って、俺だけじゃなくて他の人も当てはまるじゃないですか!そんなのダメです!反対です!!」
何のために“俺の”料理人として雇ったかわからなくなるじゃないか!
そう思って社長を睨むと、わかってるとばかり頷いた。
「だから、付き人依頼はお前のみ可能にする。ただし、そのことは伏せるがな」
「だったら別に『ラブミー部』じゃなくてもいいじゃないですか。彼女の契約内容にそれも足せば…」
「何だお前、ずっと彼女を拘束する気か。束縛する男は嫌われるぞ?」
「そ、そうではなく…ただ、『ラブミー部』は無料奉仕じゃないですか。それじゃあ本末転倒ですよ」
「代わりに高校の学費を負担することにした」
「え?」
高校?
「ちょっ…社長さん、話が違います!肩代わりするだけだって…」
「お?そうだったか?別にいいじゃねぇか。代わりに雑用沢山やらせるし」
「でも、それではもう1人の部員の方に申し訳ないです」
「そんなことはないさ。もう1人の方は代わりに芸能界という褒美がある。だが、君にはそれがない。だから、その代理品のようなもんだ」
話についていけない俺を置いて、彼女と社長はどんどん話を進める。
高校に行ってないのは知っていたし、行きたいのだろうことは話の端々から感じ取れた。
だから、この話は彼女にとって嬉しいものだとわかる。
それに、朝と夜は食事の支度があるから家にいなくてはならないけど、昼は暇になる彼女…
その余った時間で何をするのか気になっていたから、高校に行ったり、事務所で仕事をしているっていうなら多少安心できる…気がする。
本当はあまり人目に晒したくないんだけど…彼女自身も納得しているようだし、契約違反さえしなければ俺に口出しする権利はない。
例え、俺(と社さん)以外に料理を作ったり、笑顔を振りまいたりしても……
だが…だがっ!このネーミングとあのユニフォームだけはっっ
「キョーコちゃん、考え直さないか?高校なら俺が行かせてあげるから!」
「でも…敦賀さんにそこまでしていただくわけには…」
「だけど、キョーコちゃん!『ラブミー部』に入ったらショッキングピンクのツナギを着ないといけないんだよ?」
「うっ…確かにアレは……」
既にユニフォームを見せてもらっていたのか、顔を引き攣らせるキョーコちゃん。
もうひと押し!と思ったら、やはりというか邪魔が入った。
「最上くん。君は大切な感情を取り戻したいのだろう?」
そう言われて、彼女ははっとしたように社長を見た。
そして真剣な表情でこくりと頷く。
…大切な感情って何のことだ?
取り戻すとは?
もしかして…単におせっかいで付き人をやっても問題のない『ラブミー部』に入れたんじゃなくて、本来の意味で…『愛する心を取り戻す』ために?
「キョーコちゃん…?」
社さんも不安げな表情で彼女を見る。
社長の確認したいことについて同じく察していたから、社長の言葉に俺と同じ可能性に辿り着いたのだろう。
「…心配をかけてすみません、社さん。敦賀さんも、せっかく申し出て下さったのに…」
「それはいいけど…考え直す気、ないの?」
「はい。高校に行かせてもらうという対価がありますから、無料奉仕にはなりませんが…私の失くしたものをもう一度手に入れるためには、必要なことだと思うんです」
「それは、俺だけじゃダメなの?」
「いいえ。きっと、それも一つの形だと思います。でも、それじゃあ昔の私に戻るだけ…何も成長しないんです」
どこか虚ろな目をして俺を見つめる彼女。
この目は…公園で見つけた時の目?
「昔の私はいつも誰か中心に回ってた。自分のために何かしたことがなかった…」
そう言われて昔の彼女を思い出す。
100点ではないテスト用紙を握りしめて泣いていた女の子…
自分を馬鹿だ馬鹿だと責めて、縮こまって泣いていた。
きっと100点をとればお母さんが喜んでくれるはずだと、涙をそのままに笑顔を作っていた女の子。
覚えてる…あぁ、俺はこんなにも君を覚えてる……
君の言葉に嘘がないことを、この中で一番俺が知っていた。
「だから今度は、誰かのために何かすることで、そこから自分を見つめ直して自分を探したい。自分を作っていきたいんです」
誰か1人のためだったら、きっと過去の自分に戻るだけ…そう彼女は呟いた。
その意味を理解できてしまった俺は、もう反対することなんてできやしない。
今度は俺のために生きてほしいなんて、俺の我が儘で、決して彼女のためにはならないとわかってるから。
彼女には世界を広げることが必要で、俺の想い[独占欲]は枷で毒にしかならない…
わかってる…わかってる………だけど、手放せない…
「わかったよ。もう反対はしない。だけど、最初の契約は守ってくれるよね?」
俺の家に住んで、傍にいて、ご飯を作ってくれる…それだけは守ってくれるね?
じゃないと俺、どうなるかわからないよ…?
「は、はい、もちろんです!!」
「そう…なら、いいんだ」
彼女は羽化する前の蝶。
まだ飛び立つ翅が生えていないなら、もぎ取ってしまえば良い。
気付かれないように、巧妙に…
広い世界を知った彼女が俺の元から飛び立たないように……