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「もう遅いから泊まっていくといいよ」
社さんに要請されて、敦賀さんの食事を作りに来た私はそう言われて素直に頷いた。
これまでも、同じようなことがたびたびあり、その度に「まだ、終電に間に合いますから」と帰ろうとした私だったが、敦賀さんの口車に乗せられていつも泊まるはめになってしまう。
それなら、最初から無駄な抵抗をしない方が利口だ。
「あれ?今日は素直だね」
「私にだって学習能力くらいあるんです!結果がわかってるのに抵抗したって意味ないじゃないですか!」
敦賀さんにやりこめられて、何度ここに泊まったことか…
私と社さん以外は滅多に訪れない敦賀さんの家。
しかも社さんはここに泊まることはないから、ゲストルームは殆ど私専用になってしまっている。
泊まる回数が2桁に上った時、「服とか化粧品とか置いておいたらどうかな?」と敦賀さんに勧められてクローゼットをお借りしてから、更に泊まる回数が増えた。
恋人でもないのに……
でも、敦賀さんは「大切な人は作れない」っておっしゃっていたし、彼女を作るつもりがないから、私を泊めるのだろう。
そうでなければ好きな人に申し訳ないと思って、何があっても他の女性を泊めたりしないと思うもの!
「うん、利口だね。けど、その結論に至るのが遅いんじゃないかな?もう、20回は超えてると思うけど…」
「うっ…」
普通は抵抗するでしょ!
敦賀さんは男性で、私はこんなんだけど一応女なんだから!
そりゃ、敦賀さんが私に興味を持つことがないことは代マネをした時からわかってることだけど、それでも羞恥心は消えないのよ。
それに、すっごくたまに私が粘り勝ちして車で送ってもらう時、降りる際に捨てられた子犬のような目で見つめられるのが苦手なのよ!
思わずもう1回車に乗り込んで、「一人にしませんからね」って甘やかしたくなってしまうから…
あんな目で見つめられるくらいなら泊まり込んだ方がマシ。
そんな結論に至った私はおかしくないと思う。
「そうだね、普通は抵抗あるよね」
「…私はまだ何も言っておりませんが」
「顔に出てるよ。だけどね、最上さん……今更じゃない?」
「……そうですね」
今更ですよね。
もうこれで通算24回。
ただの事務所の先輩後輩の関係を思うと、この回数は異常だと思う。
敦賀さん家に行く→強制宿泊、の流れになるからラブミー部に要請されても断っていた時期もあったけど、これ幸いと敦賀さんが食事を取らなかったせいで体調を崩してしまったので、社さんからではなく俳優部門主任の松島さんから正式に要請されてしまった。
『蓮の食事の世話をすること!(要請された時のみでよし)』
そのせいで喜々として社さんが毎日のように私に要請してきて、私も流石に心配になったので、時間を作って敦賀さんの食事を作るようになった。
その際、「君なら悪用しないだろう」と主任からスペアキーまで渡されてしまったので、敦賀さんの了承を得て、先に敦賀さんの家に行って料理を作るのが大半だ。
因みに今日もそのパターンである。
「じゃあ、お風呂に入っておいで。俺は仕事場でシャワー浴びてきたから」
「あ、はい。では、お借りします」
にっこりと笑って私に拒否させない敦賀さんにぺこりと頭を下げて、ゲストルームに服を取りに行く。
下着とパジャマ、洗顔用石鹸と化粧水などを持つと、再びリビングに戻って、そこを通ってバスルームに向かった。
敦賀さんは見たいドラマでもあったのか、ソファーに座ってテレビを見ている。
「じゃあ、入ってきますね」
「うん」
もう一度断りを入れて、脱衣所に入ると扉を閉めた。
絶対覗かないだろうけど、念のため鍵もかける。
これは3回目か4回目に泊まった時に敦賀さんに言われたからだ。
「『男の家で風呂を入る時に鍵を閉めないなんて、襲ってくださいと言ってるようなものだぞ』…って敦賀さんしかいないんだから問題ないと思うんだけどなぁ…。流石に私だって敦賀さん以外の男性の家に泊まるようなことがあれば、鍵くらい閉めますって」
そんな独り言を言いながら服を脱いでいく。
最初は持って帰って洗っていたけど、慣れた私は洗濯機に洗い物を放り込んだ。
そして、バスルームに入ると、何度見ても大きいという感想しか出てこない風呂を見つめた。
「…ホント、敦賀さんの家にあるものって何でも大きいわよねぇ…。まぁ、敦賀さん自身も規格外サイズだし、仕方ないんだろうけど」
そう呟くながら、中に入るより先に身体を洗う。
そして、髪も洗おうとしたところでシャンプーが切れていることに気付いた。
「……替え、あるかしら?」
トリートメントの方も切れていることを確認して、一端、脱衣所に戻ると、洗面台の下の扉を開ける。
ボディソープ、ハンドソープ、ワックス、洗濯機があるのに洗濯物はほぼ全てクリーニングに出す敦賀さんの家にはなかったから私が買ってきた洗濯用洗剤、漂白剤……
「あ。あった」
奥の方に仕舞ってあったシャンプーとトリートメントの詰め替え用を取り出す。
すると、その後ろに見慣れない箱があることに気がついた。
「…何かしら、これ?」
洗面台の下にあるということは間違っても食べ物とか服ではないだろうし、見られて困るものでもないだろう。
あのきめ細かい肌を保つためのものとか?
見ても平気だろうと判断して、少しドキドキしながらその箱を引き出すと、その正体に気付いた。
「…………………毛染め剤?」
色はダークブラウン。
敦賀さんの髪の色だ。
あのバカみたいにわざわざ髪を染めるタイプには見えないし、このくらいの色ならそんなに黒と変わらないし、別に染める必要もないと思う。
白髪を隠すためっていうならまだわかるけど、敦賀さんはまだ若いし必要ないはず…
ま、まさか………―――
「敦賀さんって…………若白髪だったの?!」
苦労性には見えないけど、あれほど忙しい人だもの、苦労してるのはわかりきってること。
若白髪でも不思議はないわ。
大丈夫です、敦賀さん!
不肖、最上キョーコ、敦賀さんの秘密は誰にも話しません!!
蓮が聞いたら顔を引き攣らせ、社だったら爆笑するようなことを決意したキョーコはいそいそと毛染め剤を元あったところに戻した。
蓮にとって幸いだったのは、その奥にあったカラーコンタクトの存在を知られなかったことだろう。
英語のパッケージであるそれは、相手がキョーコでないのなら普通のコンタクトだとごまかせるだろうが、生憎とキョーコは英語ができる。
よって、キョーコがそれを見つけていれば、目の色が黒でないことがばれ、髪の色も若白髪なんて結論ではなく金髪だの茶髪だのと地毛の色を疑われることになっていただろう。
どういうことなんですか?と詰め寄られれば、キョーコに弱い蓮は久遠であることもコーンであることも話していたに違いない。
しかし、蓮にとって幸か不幸かそのような事態にはならず、キョーコは勘違いするだけで終わった。
シャンプーとトリートメントを詰め替え、髪を洗って風呂に入り、疲れを癒したキョーコは「私が若白髪だって気付いたことを知ったらショックを受けるかもしれないし、言わない方がいいわよね」と判断して、毛染め剤を発見したことを隠すことに決めた。
嘘はつけないが、演技は可能という不思議ちゃんであるキョーコは持ち前の演技力を駆使して、まだリビングのソファーに座っている蓮にいつものように「お風呂、ありがとうございました」と礼を言い、お互いに「おやすみなさい」と挨拶して、寝室に向かったのだった。
蓮がキョーコの勘違いに気付けるのは、まだまだ先の話……
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ギャグです。
蓮って髪の毛どうしてるのか不思議に思って書きました。
自分で染めてるに1票で!
他人に染めてもらってるなら、ジェリーだと思うけど、生え際が地毛になった瞬間アウトだから、すっごく頻繁に染めてると思うんですよね。
それを考えると、やっぱり自分で染めてるのかなぁって…
この話を書くきっかけになった瑞穂さまにこっそりひっそり捧げます。
「―――最上さん」
その声にキョーコはびくっと身体を揺らした。
恐る恐る振り返ると、昨日の今日で出てこれるはずがないと思っていた人物――敦賀蓮の姿。
キョーコは目を見開いた後、サーッと顔を青くした。
「(どうしよう!私、まだ全然心の準備がぁぁぁあああっっ)」
そう心の中で泣き喚く。
まだ、死刑宣告まで猶予があると思っていたキョーコにとって、蓮との邂逅は不幸そのものだった。
「あ、あの…っ」
「昨日はいろいろとありがとう」
「(これは怒ってる~~~~…の?似非紳士スマイルじゃないし、怒りの波動も感じないんだけど…)」
あんなことやこんなことを全国放送で暴露したから、次あった時は絶対大魔王だと思ってたのに…
キョーコは怒っていない蓮を不思議そうに見る。
すると、蓮はそんなキョーコの心境に気付いたのか、くすりと苦笑した。
「怒ってないよ。軽蔑もしてない」
「…え?」
「君があの鶏だったのは驚いたし、あんなことをテレビの前で暴露されて恥ずかしかったけど、俺のためだってわかってるからね」
「で、でも、私、すっごく失礼な態度を……」
おずおずとそう言うと、蓮は困ったように微笑む。
「一回目は偶然だろうけど、二回目以降は俺のためなんだろう?俺がスランプに陥ったのを知ってたから、俺の恥を知っている鶏の前なら隠さず理由を話すんじゃないかって…そう思ったんだろ?」
「……はい。そ、そのっ!好奇心とかじゃなくてですね…っ!!」
「わかってるよ。心配してくれたんだって…ラブミー部の君に恋の指導をされていたなんて、って自分の恋愛レベルの低さに少しショックだったけど」
「う……」
「ふふっ、冗談だよ」
蓮はくすくすと笑う。
その姿はキョーコが想像していたものと全く違っていた。
次会った時はきっと「君があの鶏だったんだ…俺を騙していたんでね?最低だよ」とか、「随分勝手なことを言ってくれたじゃないか。君はいつからそんなに偉くなったんだい?」とか、「人のプライベートなことを暴露するなんて…軽蔑するよ、二度と俺の前に現れないでくれ」とか言われると思っていたからだ。
蓮がそんなキョーコの想像を知ったら、落ち込むこと間違いなしだろうが、キョーコはもちろん知らない。
しかし、想像と違って、蓮は怒りを見せることもなく、冷たい目でキョーコを見ることもなく、普段通り…否、普段以上に柔らかい雰囲気を纏ってキョーコを見ていた。
「え、えっと…あ!敦賀さん、大丈夫だったんですか?!」
「ん?何が?」
「だって、マスコミがまだ家に張り付いてますよね?なのに、どうやってここに…」
「堂々と、だよ」
「は?」
「マスコミからずっと隠れてるなんて不可能だし、俺が悪いわけじゃないのに隠れなきゃいけないなんて理不尽だろ?だから、普通に出てきたよ」
にこにこと当たり前のことのように言う蓮にキョーコは絶句する。
普通に、と蓮は言うが、蓮のマンションの前に詰め掛けていた報道陣の数は半端ではない。
芸能人の秘密を追うよりも、政治や事件の方に目を向けろと言いたいほどTV欄は「敦賀蓮」の文字で埋め尽くされているのだ、それは当たり前だろう。
そんな報道陣からどうやって逃れてここにいるのか…キョーコはそれがとても気になった。
「本当に普通に出てきたんだよ?だから、マスコミの方々はすごく驚いて固まってたなぁ…」
「そりゃそうですよ…昨日の今日で出てくるなんて誰も思いませんって!」
「うん、そうだね。少なくとも、ばれたと知った時は1ヶ月くらい出れないんじゃないかって思ってたよ。それと、俺の芸能生活は終わりかな、って」
「っ……」
諦めてた、という蓮にキョーコは泣きそうになる。
キョーコは知っている…不破尚への復讐のために芸能界に入ろうとしたキョーコに本気で怒るほど、俳優であることにプライドを持っていることを。
熱を出して倒れたのに、再び現場に戻って誰にも悟らせることなく演技しきった蓮を。
恋がわからなくて挫折した時、気になる相手はいるのに「大切な人は作れない」と悲しい顔をしていたこと…けれど、それを乗り切って“嘉月”の演技をしたこと。
知っているから、諦めるなんて哀しいことを選択させようとした世界が許せない。
涙目になったキョーコの頭に、蓮は優しく手を乗せた。
「敦賀、さん…?」
「諦めてた…けど、諦めきれなくなった。いや、違うな…諦める必要なんてないんだと知ったんだ」
「へ?」
「君が教えてくれたんだよ。クー・ヒズリの…父親の存在に押し潰されそうになっていた俺を君が救ってくれたんだ。俺が作り上げてきた“敦賀蓮”を肯定してくれた」
「それはっ…」
「他の誰でもない君に肯定されたから俺は浮上できたんだ。誰になんて言われても俺の演技を見てくれる人がいるって、君が見ていてくれるって知って、それでいいって思えたんだ。それにね、演技を続けていれば、きっと“俺”を見てくれる人が出てくる。そして、いつかは“クー・ヒズリの息子”じゃなくて“敦賀蓮の父親”って言わせてみせると、そう決めたんだ」
優しく笑う蓮にキョーコは固まった。
「(こ、ここで神々スマイルぅぅぅぅううう??!!)」
キョーコのプロテクターである怨キョが浄化され、次々に消滅してゆく。
それを感じながらもキョーコは動くことはもちろん、顔を背けることすらできなかった。
「最上さん?」
「は、はぃぃぃぃぃいいいいいい!!」
「どうしたの?」
「い、いえ、何でもありません~~~!敦賀様がお気になさることは何一つございません!!」
「……そう」
怪訝そうにキョーコを見る蓮。
しかし、キョーコは説明なんてできなかった――見惚れた、なんて言えるわけなかった。
“きまぐれロック”の生番で、キョーコは蓮を神(と勝手に定めた位置)から同じヒトへと引きずり落とした。
自分の中で何かが変わってしまうとわかっていても、そうすることでしか蓮を“クー・ヒズリの息子”ではない一個人として見せる方法を思いつかなかったからだ。
そして、予想通り、蓮の笑顔を見た時、自分の中で何かが動いたことをキョーコは気付いていた。
“神々スマイル”を見て、今までなら眩しいと目を眩ませていたのに、その笑顔を見て嬉しいと…嫌われてないとわかって、とかではなく純粋に、その笑顔を自分に見せてくれることを喜んだのだ。
「……それでね、最上さん」
「はい?」
「今日、ここに来たのはね、君に会うためなんだ」
「………………はい?」
きょとん、と首を傾げるキョーコ。
そんなキョーコの前に蓮は片膝をついて、まるで姫に忠誠を誓う騎士のようにキョーコを見上げた。
「つ、敦賀さぁん?!ちょ、やめてください、そんな格好っっ」
「君のお願いなら何でも聞いてあげたいけど、今回は聞けないな。今から俺は、君に許しを請うんだから」
「許し…?」
「君が勇気を出してあの鶏だって教えてくれたから、俺も君に秘密にしていたことを明かすよ」
怒っていいから、泣かないでね…?
そう言う蓮にキョーコは「泣くような秘密って…?」と眉を寄せた。
「――妖精じゃなくてごめんね、“キョーコちゃん”」
ずっと黙っていて、ごめん。
蓮はそう言って、右目のコンタクトを外す…そして現れた、碧。
「……………こー、ん…?」
「うん。会ったのは、君が6歳の時だったね…京都にある森で、君は泣く場所を求めて、そして俺と出会った」
一緒に“ハンバーグ王国”を作ったりしたね。
俺が熱射病で倒れた時は、君がハンカチを濡らしてきて俺の額に乗せてくれた。
母親のことで泣いて、“王子様のショーちゃん”のことで笑顔になっていたね。
そう優しく語る蓮を呆然と見るキョーコ。
「コーン、なの?」
「そうだよ、キョーコちゃん」
「だって、髪…」
「染めてるんだ。日本人の“敦賀蓮”になるために」
そう言われて、考えてみれば簡単なことじゃない!とキョーコは思う。
父親であるクーはハーフで金茶、母親であるジュリエナはアメリカ人で金の髪だ。
その二人の息子である蓮の髪色だって、二人の色を継いでるに決まっている。
「騙そうと思って黙っていたんじゃないんだ。俺は過去を捨てて“敦賀蓮”になったから、“クオン”の思い出である“キョーコちゃん”との記憶に絆されちゃいけないって、話すわけにはいかないって…」
「…わかってます。意地悪で教えてくれなかったんじゃないって……」
「うん……でもね、“キョーコちゃん”との思い出は俺にとって宝物だったから、捨てることなんてできなかった。そして、“最上さん”も俺にとって大事で、今の“俺”を見てほしかったから、重ねられたくなくて尚更言えなかったんだ」
それが黙っていた免罪符になるとは思っていないけど…
蓮はそう言ってキョーコがぽろりと零した涙を指で拭う。
「泣かないで、キョーコちゃん。君に泣かれると弱いんだ」
「ごめ、なさ……止まら、ない……」
「…そんなに俺が“コーン”だったのがショックだった?それとも、信じられない?」
「ちが…そうじゃ、ないんです…。敦賀さんが、私の出身地を知ってたことに、疑問に思ったり…軽井沢で朝日の悪戯で、敦賀さんがコーンに見えたり…先生が『クオン』って呼んだのを、コーンって聞き間違えたり…した、から…敦賀さんが、コーンでも、不思議じゃなくて……ただ、」
「ただ?」
「ただ、コーンが…コーンが生きててよかったよぉ…。コーンが、コーンが貴方でよかった…っ」
「っ……」
――どうしてくれようか、この娘は――
蓮は思わず無表情になり、キョーコを抱きしめたい衝動を堪える。
…が、ボロボロと自分のために涙を零すキョーコに耐えきれず、蓮は立ち上がると、腕の中にキョーコを閉じ込めた。
「つ、つるが、さん……?」
「――ねぇ、キョーコちゃん」
「?」
「もう一つ、俺の秘密を聞いてくれる?」
「は、はい…」
抱きしめたまま蓮はそう言うと、キョーコは戸惑いながらも頷いた。
そのことに安心して蓮は話し出す。
「実はね。俺ってまぬけなんだ」
「はぁ?」
「好きな子のことを、本人に相談してたんだよ。すっごいまぬけだと思わない?」
「ふへ?」
「だから、君が好きだってこと!君に相談した、4つ年下の高校生は君のことなんだよ」
「………」
はぁぁぁぁぁああああああああああああ??!!
キョーコの絶叫が建物中に響き渡る。
予想していた蓮はしっかり耳を塞いでいた手をのけると、再びキョーコを抱きしめた。
「最上キョーコさん。俺の羽は、また父親の手に引っ掛かってボロボロになってしまったけど、今度はもっとしっかりした大きい羽を作ってみせるから、俺の隣でその手伝いをしてくれませんか?」
「…」
「君が傍にいてくれるだけで、俺は幸せになれるんだ。ずっと、俺には幸せになる資格なんてない…大事な人は作れないって思っていた。でも、そんな誓いなんて破って幸せになりたいって、君に俺を好きになってほしいって、思ってしまうんだ。そして、俺はもう君がいなければ生きていけないってわかってしまったから」
――だから、俺の傍にいて?俺を好きになって?
「俺の、恋人になって下さい」
蓮はそう言うと、腕の力を緩めてキョーコの顔を覗き込んだ。
真っ赤になり、瞳を潤ませて、力なく蓮を見上げるキョーコ。
意図せず上目づかいになるキョーコに蓮は「うっ…」と胸を抑えた。
破壊力抜群である。
「あ、あの…えっと…そのぅ……」
「Yesって言ってくれれば、絶対に幸せにしてみせるよ。正直に言うと、その返事しか欲しくない」
「あああああああのっっ」
「愛してる。お願いだから、俺の…俺だけのお姫様になって?」
あわあわと慌てるキョーコの前に再び膝をついた蓮は、その細い手を取り、口付ける。
その途端、ボッと赤かった顔が更に赤くなり、一気に体温が上昇した。
「つつつつ、敦賀さん!待って下さい!!」
「嫌?俺とはそういう関係になるの、考えられない?」
「そ、そういう問題ではなく、混乱してるので返事は待ってもらえませんか?」
「…それって考えてくれるってこと?」
恋愛を拒否していたキョーコが見せた譲歩に蓮の瞳が輝く。
多少罪悪感を見せながらもばっさりこの場で断られるのを想定していた蓮にとって、その譲歩はかなり嬉しいものだった。
こくりと頷いたキョーコに蓮は破顔した。
「待つよ。可能性がゼロじゃないってわかったから、待てるよ。だから、ゆっくり考えて?答えが出たら、君の気持ちを教えて?」
「…すっごく時間がかかるかもしれませんよ?」
「それでも、君が俺を愛してくれる可能性があるなら俺は待つよ。それに…ただ待つなんてしないからね」
「は?」
「君がその気になってくれるように精一杯口説かせてもらうよ。大丈夫。TPOはわきまえるから」
にこにこと笑う蓮を前に、キョーコはたらりと冷や汗を流した。
「(…もしかして、選択肢を間違った……?)」
「あ、今更『さっきのなし!』なんて受け付けないから。そんなこと言ったら俺……どうなっちゃうかわからないよ?」
ぬか喜び、なんてことになったら理性がプッツンって切れちゃうかも。
と、笑顔(しかし目は笑っていない)でのたまう蓮にキョーコは思わず下がろうとしたが、しっかり手を握られているため逃げられない。
それどころか、その体勢のままキョーコを引き寄せた蓮は、キョーコの腰に腕を回し、顔を胸に埋めた。
「つつつつ敦賀さぁぁぁあああんっ!セクハラっ、それセクハラですから!!ってか、ない胸に顔を埋めても楽しくもなんともないですよね?!」
「そんなことないよ。とても幸せな気分になれる」
「そ、そんなこと言ったって…そ、その、恋人でもないのにこの体勢は…」
「なら、今すぐ恋人になろ?」
「ちょっ、さっき待つって…」
「待つつもりもあるけど、やっぱり早く恋人になりたいしね。全力でアプローチしようと思って…。これくらいしないと、君は俺を意識してくれないだろう?」
「そ、そんなこと…」
「ん?」
「そんなことありません!敦賀さんの笑顔を見るだけで心臓がばくばくいいますもん!!」
「え…それって…?」
都合の良い言葉が聞こえてきて、蓮は目を見開く。
てっきり「そんなこと………あります、ごめんなさぁぁぁああいいいいい!!!」と泣かれると思っていたのに、これではまるで、告白する前からキョーコが既に蓮を意識していたみたいな言い方だ。
「最上さん…」
「?」
「やっぱり今すぐ恋人になろう?ってか、結婚しよう?」
「えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええ???!!!」
話がいきなり飛躍し、混乱するキョーコ。
そんなキョーコを抱きしめながら、「日本だと指輪は給料3ヶ月分だったよな、確か…」とか「式は白無垢よりドレスがいいなぁ…いや、白無垢も捨てがたいかも」とか「子供はまだいらないけど、作るなら最上さん似の女の子がいいなぁ」とか、勝手に未来設計をする蓮。
そんな二人を遠くからLMEの社員たちは見ていた。
そう、ここはLME事務所のロビー。
この事務所で一番人が集まる場所…つまり、全くといって蓮はTPOをわきまえていないのである。
そんなところで始められたやり取りを見守っていた野次馬…もとい社員たちは、蓮のプロポーズももちろん見ていた。
蓮のセクハラ的行動も見ていた。
が、美形は得である。
「どんな行動でも様になるなぁ」の一言で済んでしまうのだから。
無論、その野次馬の中には蓮のマネージャーである社もいた。
昨日から蓮と共に行動しているのだから当たり前である。
「(るぇぇぇぇええええんん!!!お前、暴走しすぎ!!!!!ってか、コーンって何?!二人は知り合いだったわけ??)」
そして、昨日の行動について直接注意しておこうとキョーコに会うために訪れていた琴南の姿もその野次馬の中にあった。
「(ちょっとぉぉぉおおお!!!何、公開プロポーズやってんのよ、あの男っ!!キョーコも流されちゃダメーーーーーーっっ!!!!)」
拳を握りしめ、女優として以前に女性としてあるまじき顔で歯ぎしりする琴南。
同じく、昨日の騒動の後始末に追われた椹も、「昨日は大変だったなぁ」と(比喩ではなく)走りまわったキョーコを労わるためにその場にいた。
「(ななななっ…ちょっと待ってくれ!蓮は最上くんのこと嫌ってなかったか?あ、それは最初だけだったか…?いや、しかしな……)」
思わず悩みこんでしまう。
椹にとって印象が強いのはキョーコに対して冷たく当たる蓮の姿だ。
“Dark Moon”で共演していたし、キョーコが出演している不破尚のCDを頼まれたこともあったため、仲が改善しているのは想像できたが、蓮がキョーコに恋心を抱いてるなど全く考えたことがなかったのである。
「(っれれれれれ蓮さまぁぁぁぁああああ??!!お、お姉さまのこと……でも、お姉さまが相手なら許せるわ…他の人なら許せないけど!蓮さま、お姉さまのことを大事になさってくださいねっ!!!)」
蓮が事務所に来ていると聞いて訪れたマリアもその光景をもちろん目撃しており、何故かマリアの中では既に二人の仲が成立しているようである。
二人の邪魔をしたら…と呪いの人形片手に二人を祝福している。
「(きょ、キョーコちゃん……)」
項垂れて泣いているのは“きまぐれロック”でおなじみブリッジロックのリーダー、石橋光。
キョーコに片思い中だった光は蓮の告白を見て、その口説くさまとキョーコの反応に「勝ち目なんて微塵もない…」と悟ったのである。
そんな光の方をぽんっと慰めるように叩く二人。
「今日は奢るよ、リーダー」とやけ酒に付き合うことを告げる。
そんな二人に光は力なくコクンと頷いた。
蓮は告白と同時に馬の骨の排除もおこなったのであった。
「(蓮の奴、やるな…しかも、過去に会ったことがあるなんて運命的じゃないか!素晴らしいぞ!!これは今すぐクーに連絡しなくてはっ)」
…この人が居合わせないわけがない。
ローリィもまた公開プロポーズに立ち会った一人である。
蓮の告白に感動したローリィはルンルンと上機嫌にその場を後にする。
その後の展開を見逃すつもりはもちろんなく、カメラを持たせた執事をスタンバイさせてある。
ぬかりはないローリィであった。
「ね、夫婦になろ?」
「しっ、知りませんっ!!!」
後日、烈火のごとくキレている琴南を必死に社が宥めたとか…
fin
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…微妙な出来、ってかくどくて少し不満(ぉい
ぶっちゃけ、最初の1、2話だけでも十分だと思ったんですけど、
「俺の羽は、また父親の手に引っ掛かってボロボロになってしまったけど、今度はもっとしっかりした大きい羽を作ってみせるから、俺の隣でその手伝いをしてくれませんか?」が言わせたくて長々と無駄に書きました。
なので、終わり方を決めてなくて、綺麗に終わらなかった…(泣
これで完結です。
お付き合い下さりありがとうございました。
キョーコは蓮たちの懸念を知ってか知らずか、一度も恋人を作ることはなかった。
強がってはみたものの、やはり不安だった蓮はホッとしているが、これから先のことはまだわからない。
垢抜けて綺麗になった(蓮は昔から綺麗だと思っていたが)キョーコの周りには、うようよと男共が群がり、うろついている。
持ち前の鈍さでアプローチを全部スルーしているが、二十歳になり、成人の仲間入りを果たしたら、多少強引なアプローチも増えてくるだろう。
「そろそろ認めてくれないかな…?」
裏で人としてやばいと判断した男を葬ってきた(といっても社会的にであって実際殺したわけではない)蓮は、キョーコの基準の高さに溜息を吐いた。
19歳の時点でイイ女と称されるようになったにも関わらず、キョーコは自分をイイ女だと認めなかった。
世間の評価を受け止めてはいるものの、キョーコの中ではまだまだだったらしい。
4回目になるグレートフル・パーティーに参加している蓮はキョーコのレシピによって作られた食事をつまみながら、今年も主催者として走り回っているキョーコを見つめた。
「あ……」
もうすぐ12時。
今のところ、プレゼントを1番に渡す役目は譲ったことはない。
別れた後初めての誕生日プレゼントを渡した時は困惑されたが、拒否を認めず受け取らせた。
親友の琴南に先を越されそうになったこともあるが、強引に割り込んだ…その時は『未緒』をやれるんじゃないかと思うほどすごい目で睨まれ、社には呆れられた。
だが、これだけは…
「最上さん!」
「あ、敦賀さん…」
「誕生日おめでとう。君もようやく大人の仲間入りだね」
「あ、ありがとうございます」
渡したのは薔薇一輪。
毎年なるべく新種の薔薇を渡している…中に宝石を仕込んで。
薄々、キョーコも『伝説』なんかではないと気付いているだろう。
けれど、この日だけは何も言わず素直に受け取った。
「…イイ女になったね、最上さん」
「ふふっ、ありがとうございます。実はこの前、芸能界一イイ女の称号をいただいたんですよ!」
「うん、知ってるよ」
性格も、容姿もNo.1に相応しい。
キョーコほどイイ女はいないだろうと蓮は内心のろけた。
「…そうだ、敦賀さん!私、敦賀さんにお話したいことがあるんです」
「うん。俺も」
「そうですか…じゃあ、移動しませんか?ここでは人目がありますから」
「いいよ」
キョーコに促され歩き出す蓮。
いつものように琴南の邪魔が入らないことを不思議に思いながらも、キョーコの後を追った蓮は、キョーコに続いてとある一室に足を踏み入れた。
「…話ってなんですか?」
「最上さんが先でいいよ」
「そうですか…じゃあ、お先に失礼しますね」
キョーコはにこりと笑って言った。
「私、引退することにしたんです」
蓮はキョーコが何を言ったのかわからなかった。
瞠目する蓮にキョーコは苦笑する。
「と言っても、引退するのは30歳の誕生日なんですけどね」
まだ、モー子さんと社長にしか話してないんですよ、とキョーコが笑う。
蓮には、何故笑顔でそんなことが言えるのか理解できなかった。
京子というタレントは蓮と同じくらい演技バカな役者だから…
「な、んで…」
「母の会社を継ぐことになったんです」
「ちょっと待って…君、母親とは疎遠じゃなかったっけ?」
「そうだったんですけど…高校3年生の時、大学に行くか芸能界一筋でいくか迷ったんです。私の成績なら良い大学に行けるって先生方は奨めて下さったんですけど、学業と仕事を両立させるのは難しいってわかっていましたから」
その頃のことを思い出しているのか、キョーコは遠くを見るような目で窓の方に目を向けた。
暗闇の中、星が光っている。
「そんな時、母がどうやって調べたのか、学校まで訪ねてきたんです。ずっと会っていませんでしたし、私に関心を寄せることなんて一度もなかったから、母の顔を見た時混乱してしまって…先生が機転を利かせて社長を呼んで下さって、応接室で何時間も話し合いました。社長が間に入って下さったので、なんとか冷静に話せて…。それで、話し合いの結果、経営学科のある大学に進学して、卒業後は母の仕事に携わりながらタレントをすることになったんです」
「………聞いてない」
「言ってませんし。モー子さんにだって、パーティーが始まる前に言ったんですよ?すっごく怒られましたけど、もう決まってしまったことですから」
「…君は諦めることができるの?演技が好きなんだろ?」
「割り切れませんけど…私、一人娘ですし、私が跡を継げばいらない争いが起きずに済むので。社長もそれなら仕方ないって送り出してくれる約束してくれましたし」
キョーコは知らなかったが、母の会社は日本で知らない人はいないと言われるほどかなりの大企業だった。
知らずにそこの製品のCMにも出たことがあり、会社名を聞いた時は驚きのあまり心臓が止まるかと思った。
それと同時に、母が何故あそこまで厳しかったのかも理解できてしまい、悲しみや苦しみは消えないけれど、理由なく虐げられていたわけじゃないと安心してしまったのだ。
母の要求を呑もうと思ったのは、きっとそれが理由だろう。
キョーコが穏やかに笑う一方、蓮はキョーコが言葉を紡ぐたび憔悴していった。
蓮が待っていられたのはキョーコが芸能界にいるからだ。
どこかで繋がっていると知っていたから、まだ余裕を持っていられた。
しかし、引退となると話は別である。
まだ10年も先の話だ…なんて悠長なことが言えるほど蓮は馬鹿ではない。
「…最上さん。次は俺の話を聞いてくれる?」
「あ、はい」
「最上キョーコさん。俺と、結婚して下さい」
その言葉にキョーコは固まる。
付き合ってすらいない男からプロポーズされたのだ、無理もない。
そんなキョーコを見つめながら、蓮はポケットから小さな箱を取り出し、開けてキョーコに見せた。
「そ、れ…」
「ごめんね。君と別れる前に買ったやつだから、型が古いし、合わないかも…」
「別れる前って…」
「俺は君と付き合い出した頃にはもう君を手放す気はなかったんだ。指輪だけじゃなくって、ドレスや式場もチェックしてあったんだよ」
「なら、なんで…っ」
「…俺が弱かったせい。俺の愛を信じてほしいって君に言いながら、俺は君の愛を信じていなかった」
「酷いっ」
「うん…俺は酷い男だよ。君が本当に愛してくれてるって知った時、歓喜したんだから…。だけど、すぐに歓喜は絶望に変わった。君がイイ女になって後悔させてやるなんて宣言しなくても、その時点で俺は後悔してたよ。だけど、撤回しても遅いんだって気付いてしまったから、俺は君が自分でイイ女になったって認められるようになるまで待つと決めたんだ」
蓮はそう言うと泣きそうな顔をするキョーコに微笑みかけた。
その微笑みは今にも壊れてしまいそうで、目は不安で揺れている。
一方的に別れを切り出しておきながら、今でも想われてるなんて思うほど、蓮は自惚れていない。
それでも、何もせずにいられるほど蓮は諦めがよくはなかった。
「わたし…」
「うん」
「私も、本当は疑ってた。敦賀さんは芸能界一イイ男で、トップ俳優で、私は地味で色気も胸もない新人タレントで…敦賀さんの愛に嘘はないってわかってたけど、それでもずっと不安だった…。だから、別れを切り出されてショックだったけど、納得してた…」
「…そっか」
「きっと、あの時別れて正解だったんですね…」
「だけど、ずっと辛かった」
「…………」
「信じられない?」
「そんな、ことは…」
否定しつつもキョーコの瞳は不安で揺れている。
裏切りによって心に傷を負い、一度は恋をしないと誓ったキョーコは、一度裏切った蓮を信じ切れないのだろう。
そんな頑ななキョーコを知っているから、蓮は性急にコトを進める気はなかった…けれど、悠長にコトを構える猶予などないと知ってしまったから…
「わかった…じゃあ、こうしようか。俺は君が引退するまでにハリウッドに行って、そして帰ってくる。それができたら、俺と結婚してくれませんか?」
「……出来るかもわからない不確かな事を信じて待っていろと?」
「うん。ダメ?もう、俺のこと好きじゃない?」
「…そんな聞き方、卑怯です」
「うん、ごめん」
迷っているということは、まだキョーコの心が自分に向いているということなのだと蓮は気付いている。
気付いて、言うのだ。
「お願い、待ってて?」
「………蓮さんの、ばか…」
「うん。馬鹿でいいよ…待っててくれるなら、俺の秘密も教えるから…だから、俺にチャンスをちょうだい?」
「秘密?」
「本名と思い出を、ね…。俺の本当の名前はね――――」
――10年後
部屋一杯の報道陣からの質問にキョーコは丁寧に答え、引退の意思を変える気はないことを伝えた。
誰もが『京子』の引退を嘆き、その存在を惜しんだが、キョーコの意思は固い。
意思を変えられないことに報道陣も肩を落とし、名残惜しみながらも、会見が終わろうとしていた。
「では、これにて京子の引退会見を――」
「待った!!!」
バタンッ
大きな音を立てて扉が開く。
会見が終わろうとしているところに乱入してくるなんてどこの馬鹿だ…と報道陣が一斉に振り返ると、そこには予想だにしていなかった人物がいた。
「セーフ、かな?」
金色の髪を靡かせ、扉を開けた時の勢いが嘘のように優雅な歩行で入ってきたのは、今アメリカにいるはずの人間。
28歳の時に素性を明かすと共にアメリカへと飛んで、今や知らぬ人はいないと言われるほどのハリウッドスター。
「クオン・ヒズリ…」
誰かがぽつりと呟く。
それをきっかけに報道陣が騒ぎ出した。
「クオンさん!本日は京子さんを引き止めるためにこちらに?」
「お二人は同じ事務所の先輩後輩で仲が良かったんですよね?今回の引退の件は以前から聞いていたのですか?」
「同じ役者として京子さんを高く評価していると聞いたことがありますが、クオンさんも京子さんの引退には反対なんですよね?」
クオンさん!クオンさん!と誰のための記者会見なのかわからなくなるほどクオン―蓮の名前が連呼される。
そんな報道陣ににっこりと微笑みながら、蓮は自然とできた道を突き進んだ。
「残念ながら、彼女の引退を止めるために来たわけではないんですよ」
キョーコのところまで辿り着いた蓮は報道陣に向けてそう言うと、振り返ってキョーコを見た。
「ギリギリだけど、セーフだよね?」
「………すっごくギリギリですけどね」
間に合わないかと思いました。
そうキョーコが言ったことで、報道陣は蓮がここに来たことは想定外ではないのだと知る。
壊してはならない雰囲気に、空気を読んだ報道陣は固唾を飲んで二人を見守った。
「期限の最終日…それも、こんなギリギリなんて予想してなかったので、諦めたのかと思いましたよ」
「まさか。俺だってこんなギリギリになるとは思わなかったんだ。ハリウッド行ったらさっさと戻ろうと思ってたのに、勝手に予定組まれて戻るに戻れなかったんだ」
社長や父さんたちの陰謀だ…と蓮は眉を寄せる。
演技を認められ、あちらに堂々と帰ることが蓮の目標だったのだから、そのまま引き留められても仕方ないと思うのだが…とキョーコは思ったが、何も言わず、ただ苦笑した。
「本当にギリギリだったけど…約束を果たしたよ。だから、最上キョーコさん」
「…はい」
「俺と結婚して下さい」
シーンと室内が静まり返る。
誰もがキョーコに注目した。
「―――喜んで」
そう言って最高の笑顔を浮かべたキョーコを蓮が抱きしめる。
その瞬間、たくさんのフラッシュがたかれ、二人を祝う言葉で室内が埋めつくされた。
「それから…誕生日、おめでとう…キョーコ」
腕を離した蓮が渡したのは、渡米してからも欠かすことのなかった、一輪の薔薇だった。
翌日、『クオン・ヒズリ 引退会見で京子にプロポーズ!!』という見出しで新聞の一面を飾り、テレビや雑誌などにも取り上げられた。
ハリウッドスターと人気タレント(元)の婚約に、芸能界に激震が走り、多くの人間が嘆きつつも二人の仲を祝った。
そして数ヶ月の間、世間を賑わせたのだった。
※ご注意下さい。
「キョーコ…別れて、くれないか?」
キョーコはその言葉に目を見開いた。
今日会ってから、ずっとそわそわしていた蓮…その理由が、別れ話を切り出すタイミングをはかっていたからだったらしい。
真剣な目をした蓮の目には嘘がないように見える。
どこか必死さも感じられて、キョーコはそこまで自分と別れたいのかとショックを受けた。
「………わかりました」
「え?」
「貴方がそれを望むなら、別れましょう」
――そんなの嫌だ!
そう心が叫んでる。
けれど、やっぱりと思う自分がいることも確かだった。
業界No.1の俳優と新人タレント…誰がどう考えても釣り合わない。
二人の関係を知っている人たちはそんなことないと口を揃えて言っていたけど、釣り合わないことをキョーコ自身が誰よりも知っていた。
知っていて、蓮の手を取った。
いつか、終わると知っていて…――
ぽろっ……
ぎょっとする蓮にキョーコは不思議そうにすると、蓮は躊躇いがちにそっと手を伸ばして頬に触れた。
そして、拭うように手を動かしたため、キョーコは自分が泣いていることにようやく気付く。
「キョーコ…あの………」
「…これは前に進むための涙です」
「ぇ?」
「貴方が愛を信じることを教えてくれた。貴方が私を一人ぼっちの闇の中から連れ出してくれた。私は貴方が私にくれたものを…貴方に恋したことを忘れません」
ふわりと微笑むキョーコに蓮は言葉をなくす。
綺麗な笑顔だった。
今まで見た中で、1番綺麗な笑顔でキョーコは言った。
「今までありがとうございました、蓮さん…いえ、敦賀さん」
「ぁ………」
それは別れの言葉。
頬に触れる蓮の手をそっと拒み、座っていたソファーから立ち上がると、荷物を手に取る。
それから、玄関に向かう前に扉の前で座ったままの蓮を振り向くと、キッと挑戦的な目で見た。
「見てなさいよ、敦賀蓮!絶対、今よりイイ女になって、別れたことを後悔させてやるんだから!!」
キョーコが自分を奮い立たせるための精一杯の強がり。
ビシッと蓮を指す手は震えていたけど、ニッと挑発するように笑って、今度こそ本当に立ち去った。
だから、キョーコは知らなかった。
バタンッと閉められた部屋の中で蓮が涙を零したことを…
「………もう、後悔してるよ……」
そう悲しげに呟いたことを…
蓮がキョーコに別れを切り出した理由は他人が聞けば馬鹿馬鹿しいと思えるものだった。
――キョーコの愛を実感したい
それだけだった。
アプローチも告白も全部蓮の方からで、キョーコからは「好き」という言葉さえ滅多に言ってくれなかった。
いや、滅多にどころか、告白したその時しか聞いたことがなかったのだ。
それでも、初めの頃はキョーコは恥ずかしがり屋だし…と自分を納得させていたのだが、そのうち言ってくれないのは自分を愛していないからではないか…と疑心暗鬼になっていった。
尊敬する先輩に告白されて断れなかっただけだとか、付き合ってみてから勘違いに気付いただとか、好きだったけど気持ちが冷めたとか……
キョーコはそんな人間じゃないと知っているのに、考え出すと止まらなかった。
それは、キョーコに愛されてる自信がないからというより、自分に自信がないから…だから、不安になった。
キョーコは『きまぐれロック』のマスコットキャラの『坊』であることまで明かしてくれたのに、コーンであったことも、久遠であることも黙っている自分。
話せばきっと黙っていたことを泣いて怒って、そして許してくれるだろうけど、蓮にはまだその覚悟がなくて…そのことが更に不安を煽る原因になった。
そんな蓮が至った答えが『別れ話』
過去の彼女たちと同じ方法を使うことにしたのだ。
本当に愛してるなら、「別れたくない」と言ってくれるはず…
……その思惑は外れた。
愛されていたことを知った、しかし、別れは受け入れられた。
蓮はキョーコの本質を計算に入れ損なっていたのだ。
自分より他人を優先する、その心を…
キョーコに愛する気持ちを思い出させ、ラブミー部から卒業させたのは自分なのだともっと自信を持ってもよかったのだ。
彼女が義理なんかで付き合うような軽い人間ではないとわかっていたのに…
「本日はよろしくお願いします」
あれから5日後。
蓮とキョーコが共演するドラマのクランクインの日。
蓮は別れてから初めて会うキョーコを前にして、動揺を隠すのにかなりの労力を要した。
別れる前は喜んだ共演だったが、今は辛い…何故なら、このドラマは主演二人の恋愛モノだからだ。
そして、主演は蓮とキョーコ…
別れたばかりの蓮にとって辛いものとなる。
しかし、蓮もキョーコもプロ意識の強い役者であるため、違和感のない先輩と後輩を演じ、いつも二人を見ている社以外は全て騙してみせた。
「どうしたんだよ、蓮。キョーコちゃんと何かあったのか?」
「…何もありませんよ?」
「嘘つけ!さっきのキョーコちゃんと石橋くんのラブシーン、いつものお前なら嫉妬を笑顔に隠して見てたはずだ。なのに、今日のお前は辛そうに二人を見てた…」
ブリッジロックの石橋光。
LME所属の人気のあるタレントで、今回ドラマ初挑戦となる。
ドラマの役はヒロインの恋人で、蓮の役が横恋慕してヒロインを奪う形になる。
キョーコとは『きまぐれロック』で共演しているため仲が良く、同じシーン以外の時も一緒にいた。
そんなことをすれば、普段は蓮が嫉妬に燃えて邪魔をしに行くのだが、今日はその様子がない。
そのことを心配した社は蓮を注視し、そして違和感に気付いたのだ。
「放っておいていいのか?石橋くん、絶対キョーコちゃんに気があるぞ!」
お前の彼女だろ?と社は小声で言う。
その言葉に蓮は悲しそうな顔で微笑んだ。
「……社さんはごまかせませんね」
「蓮…?」
「キョーコ…最上さんとは別れました」
「わっ、わかもがっ…」
「社さん」
思わず叫ぼうとした社の口を手で覆う。
社は目で謝り、手を外してもらった。
「わ、悪い…でも、どういうことなんだ?お前の惚れ具合から考えるとフラれたってことだよな?でも、お前が手放すなんてこと…」
「違いますよ……俺がフったんです」
「なっ?!」
再び叫びそうになった社だが、どうにか耐えて、どういうことだ?と目で訴える。
蓮のキョーコへの想いを本人より先に気付き、蓮のためにキョーコのスケジュールを調べたり、ラブミー部への依頼として食事をお願いしたり、スケジュール調整したりと協力してきた社である。
キョーコへの溺愛ぶりを1番知る者としては納得できないのだろう。
「…あの子の心が見えなくて、勝手に不安になって…過去の彼女たちが俺の気持ちを推し量るために別れ話をしてきたことを思い出して、それで……」
「お前、馬鹿だろ」
「…はい」
「あんなに恋を拒んでいたキョーコちゃんに恋をさせたのはお前だぞ。何を不安に思うことがあるんだ!言葉をくれない?態度に出ない?そんなことで不安になって、キョーコちゃんを試すようなことを言って、賭けに負けたって?」
グサッ グサッ グサッ
言葉の刃が蓮に突き刺さる。
まるで蓮の心を覗き見たかのように図星を刺され、蓮は思わず胸を押さえた。
「さっさと謝ってよりを戻してこい!じゃないとお前のモチベーションが下がって俺が困る!」
「……それは、できません」
「まさか、キョーコちゃんに断られるのが怖くてできないなんて言わないよな?」
「うっ……正直に言うとそれもあります。だけど、それだけじゃなくて…」
「他に何があるんだ?『嘘ついたのね、軽蔑するわ!』とか『ヒトを試すようなことする敦賀さんなんて私の尊敬する敦賀さんじゃありません!』とか『本当に嘘なんですか?別れたいって心のどこかで思ってたから出た言葉じゃないんですか?』とか言われるのが怖いって言うんじゃないだろうな?」
「や、社さん………俺を虐めて楽しいですか?」
社の言葉をうっかりキョーコの声で再生してしまった蓮は青ざめ、ズキズキと痛む胸を先程より強く押さえる。
社は「いや、微妙」と言いながらも、少しすっきりした顔をしていた。
「で、何でだ?」
「…あの言葉を嘘にするには遅すぎるんですよ、もう……」
「遅すぎる?」
「…いえ、違いますね。言ってはならなかった…あの子だけには」
そう言って蓮は光と話しているキョーコを見つめた。
その切ない目に社は眉を寄せる。
「あの子が言ったんです…俺が愛を信じることを教えてくれたって…。その俺が、あの子が信じた愛を疑ったなんて知ったら、あの子はきっとまた愛を信じられなくなる…もし、よりを戻せても、あの子はいつも俺を疑う。そして、そんな自分を責めることになるでしょう」
蓮の言葉に社は口をきつく結んだ。
簡単に想像できてしまったのだ…一緒にいるのにいつも蓮を疑って、そんな自分に嫌気がさして傷付いて、蓮から離れないけど背中を向けているキョーコと、そんなキョーコを見て自分のしたことを振り返って、何度でも傷付く蓮の姿が。
お互いがお互いを傷付けてるって気付いているのに、離れられなくって…そして修復できないほど溝が出来て…
愛し合っているのに、離れてしまう二人の姿が……
「…どこまで想像したのか知りませんが、そういうことです。だから、俺は軽口でもあの嘘を『嘘』だと言ってはいけないんですよ」
「……お前はキョーコちゃんのこと諦めるのか?」
「そんなことできるはずないって社が1番知ってるでしょう?諦め切れるような気持ちなら、最初から持ちませんよ」
「だよな」
温厚紳士な『敦賀蓮』を壊して、ただの男にしたのはキョーコただ一人。
これから、そんな女性と出会えるとは蓮も社も思っていない。
「俺はチャンスを待つつもりです」
「チャンス?」
「あの子の捨て台詞が、『見てなさいよ、敦賀蓮!絶対、今よりイイ女になって、別れたことを後悔させてやるんだから!!』だったんです」
「わぁお!流石はキョーコちゃん!」
天下の敦賀蓮に向かってそんなセリフを吐ける女性なんて滅多にいないだろう。
負けん気の強いセリフに社は感心する。
「…で?」
「……あの子が自分をイイ女だと認められるようになるまで待ちます。きっと、認めた時には俺のところに報告にくると思うので」
「イイ女になっただろって?」
「えぇ。その時にもう一度、告白します。でかい魚を逃がして惜しくなった情けない男のレッテルを貼られることになっても、きっとチャンスはその時しかありませんから…」
「…でもさ、キョーコちゃんが自分をそう認めるのってすごく時間がかかると思うよ?不破のせいで自分を卑下する傾向にあるし、世間からイイ女だって認められても、キョーコちゃん自身が認められるようになるまで何年かかるか……」
「何年でも待ちますよ。あの子を手に入れられる可能性があるなら、それが0に近くても縋り付きます」
そう言って穏やかに笑う蓮に社は安堵と少しの不服を感じる。
「そんな悠長なこと言ってて良いのか~?イイ女にはイイ男が必須だろ。お前が待ってる間にキョーコちゃんに男ができたらどうするんだ?」
「あの子の鈍感さと男をかわす天然スキルを乗り越えられる図太い馬の骨がいるなら見てみたいですね」
「ぉい」
「冗談ですよ。…もし、あの子に恋人ができたとしても俺の気持ちは変わりません。ずっと愛し続けるだけです。例え…あの子が俺を振り向くことがないとしても…」
―――――――――――――――――――
思ったより長くなったので、いったん切ります。
――だから、私が言います
『貴方は決して付属品なんかじゃない、日本を代表する素晴らしい俳優です。私が一番尊敬する役者です。意図したことじゃなくても、私を演技で魅了して、私に演技という道を示してくれた、私の光です。貴方が誰の子供であっても関係ありません。私が今まで見てきたのは、目指してきたのは“敦賀蓮”です。そして、これからも変わることはありません』
強烈な告白だった。
彼女にそんなつもりはないとわかってる。
一人の役者として、俺が作り上げた“敦賀蓮”を誰よりも認めているのだと、そう言ってるだけだとわかってる。
だけど、まるで愛の告白だっ!
役者としての“敦賀蓮”が俺の中で喜んでる、それ以上に、“俺”が君の言葉に喜んでいる。
君の中でこんなにも俺の存在が大きいのかと…こんなにも俺を求めてくれてるのかと…
「蓮」
「…」
「顔、真っ赤…」
「………言わないでください」
無表情で耳まで真っ赤になっている蓮に社は呟いた。
その社も蓮に負けず劣らず真っ赤である。
「…何か、愛の告白を盗み見た気分だよ……」
それも、すっごく熱烈な!と社が呟く。
いつもなら「ぐ~ふ~ふ~。だってさ!よかったねぇ、蓮くん?」とからかっていただろうが、そんな気力はない。
根こそぎその気力を少女に奪われてしまった。
それほど、熱烈で強烈で…蓮のマネージャーとして、蓮を知る個人として、嬉しい言葉だった。
「…ホント、キョーコちゃんのやることは想像ができないね」
「…そうですね。流石は、“もう一人のクオン”と言いますか…俺の心情をずばずば言ってのけた挙句、俺の欲しい言葉をくれるんだから……」
彼女こそ、光だ。
俺の心を照らして、俺の傷を癒してくれる、暖かな光…
俺の罪まで受け入れてくれたような気分になる。
――君の存在が俺を救ってくれるんだ…
昔も、そして今も…
『あと、それから…』
「ん?まだあるんだ」
『自分勝手で申し訳ないんですけど…敦賀さん』
「また蓮宛てみたいだな」
「なんでしょう?」
もう欲しい言葉は十分貰ったよ、最上さん。
それとも…君のことだから、最後にいらないオチをつけてくれるんじゃないだろうね?
『実は私、クー・ヒズリに最初、喧嘩を売ったんです』
「あれ?クーが“嫌な男”を演じるために喧嘩を売ったんじゃないのか?」
「俺もそう思ってました…俺が最上さんのことで動くと聞いて、嫉妬したから喧嘩を売ったのだと…あの人の愛は重いですから……」
だいたい、大喧嘩したこと自体、初耳だったんだけど?
『敦賀さんを誘き出すためにクーさんが敦賀さんを侮辱したので、つい』
つい?
『敦賀蓮は貴方を超える役者だから覚えておけ、って』
「~~~~~~~~~~~っっっ/////////」
何で君はそんなに俺の欲しい言葉をくれるんだ!
君はいつも何で自分の心が読めるのかって俺に訴えるけど、君こそ俺の心を読んでるだろう!!
『だから、敦賀さん。私の都合で申し訳ないんですけど、絶対にそれを証明してくださいね。クー・ヒズリだけでなく、世界に証明してください!貴方にならできると信じて…いえ、確信していますから!』
あぁ、もう、完敗だよ…
君は凄いよ…
君の言葉はプレッシャーになるような内容だっていうのに、そう言われてすごく嬉しいんだ。
父を超えてみせる…とずっと思ってきたけど、それを保証してくれる人なんて今までいなかったのに、君は保証してくれるんだな。
根拠のない言葉なのに、君のその言葉はとても心強い。
「れ~ん~」
「…何ですか?」
「お前が悶えてる間に放送、終わっちゃったぞ」
「えっ?!」
社にそう言われて、慌てて顔を上げると、画面はもう少女を映してはいなかった。
そのことにがっくしと肩を落とすと、調子を取り戻した社がにた~と笑う。
その手には携帯電話…もちろん、ゴム手袋をつけて持っている。
「安心しろ、蓮。今、松島主任に確認したら、この放送はちゃんと録画してあるってさ!だから、蓮用にダビングしてくれるように頼んでおいたぞ」
「…ありがとうございます」
「むふふ~、いいってことさ!」
お前の元気が出るならこれくらいお安いご用さ!と笑う社。
そんな社に苦笑して「ありがとうございます」ともう一度礼を言った。
「さて。キョーコちゃんにお礼を言いたいだろうけど、今電話するのはやめとけよ~」
「え?」
「キョーコちゃんのアレ、本人のそのつもりはなくても“愛の告白”にしか聞こえなかっただろ?そのことに関して事務所に質問が殺到してるんだと。それから、「うちの局でも敦賀蓮について語ってほしい!」って依頼も殺到してるみたいでね、今日一日ハードらしいから、かけても出れないと思うぞ」
「……そうですか」
「その代わり、明日会える時間作ってやるからな!」
さっき、明日には謹慎解くって社長からの伝言があったからな。
社はえっへんと胸を張ってそう言う。
蓮は「こんなに早く家から出れるとは思わなかったな…」とキョーコ効果に感心し、社に笑いかけた。
「お願いします、敏腕マネージャーさん?」
「おぅ!任せとけ!」
――今度は俺が勇気を出す番だよね、最上さん…?
NEXT→
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あとちょっと…
「おはようございます」
朝。
起きた蓮は軽くシャワーを浴びると、共同部屋に顔を出した。
用意された部屋は埃一つなく、過ごしやすいように配慮された部屋だった。
クォーターであるため人より大柄でまだまだ成長期である蓮ために、成長すること前提で用意されたベット。
洗面所には蓮が使用しているメーカーの予備のカラーコンタクトと消毒液。
身体を鍛えていることをローリィから聞いていたのか、トレーニングルームも備え付けてあった。
「おはよう、敦賀くん。よく眠れた?」
カチャカチャという物音が聞こえるキッチンの方まで行くと、既に起きていたキョーコが朝食と弁当の用意をしていた。
美味しそうな匂いに空腹中枢が刺激される。
空腹中枢が壊れていると言われ続けてきた蓮にとって、初めての体験である。
「はい、大丈夫です。あの…いろいろとありがとうございます」
「ううん。足りないものはなかった?」
「今のところは大丈夫です。私物さえ届けば問題ないと思います」
「そう?何か不便なことがあったら、遠慮せずに言ってね?」
にこりと微笑むキョーコに蓮は何故か胸に温かいものを感じ、不思議に思いながらも頷いた。
「キョーコ。リスト、私の部屋に忘れてたわよ!」
ガチャという音と共に琴南の声が聞こえ、その内容にキョーコは「いけない!」と慌てた。
「ごめん、モー子さぁん!机の上に置いといて~!」
「はいはい。ところで、手伝うことある?」
「あ、じゃあ、皿とコップを用意してもらえる?」
「俺がやりますよ」
自分一人だけ何もやらないわけには…と蓮が申し出る。
すると、キョーコは笑顔で「じゃあ、使う食器をモー子さんに教えてもらって?」と言い、琴南には「冷蔵庫に飲み物入ってるから!」と言った。
「今日はイチゴミルク?」
「うん!甘さもカロリーも控え目だから安心してね!」
「心配はしてないわよ。因みに、これは計算内?」
「うん。これ飲まないとバランス崩れるから、最低一杯は飲んでね」
どうやらきちんと栄養バランスを考えてあるらしい。
出来上がっていくふわふわのオムレツを見ながら、蓮は皿を用意した。
「今日は洋食なのね」
「うん。何となく…」
言葉を濁すキョーコにピンとくる。
アメリカ育ちの蓮のことを考えて洋食にしたらしい。
琴南の言い方だと、普段は和食のようだ。
「俺、和食も好きですよ。あまり食べる機会ありませんけど…」
「そう?じゃあ、明日からは和食にするね」
「良かったわ、敦賀くんが和食平気で。イメージとかあるし、外だとなかなか食べれないのよ」
そう言う琴南に蓮はそうだろうなと納得した。
琴南の一般的イメージは上品なお嬢様。
服はブランドの一点物だし、長い髪はケアを欠かしていないようで枝毛一つなさそうだ。
そんな琴南が庶民的な和食を食べていたら、確かにイメージが変わるだろう。
「おはよ~」
ガチャという音と共に最後の同居人が姿を現す。
「ごめんね、寝坊しちゃったよー」
「大丈夫ですよ。まだ時間まで余裕ありますから」
申し訳なさそうな社に、くすくすと笑うキョーコ。
社はありがとうと礼を言うと、机に目を向けた。
「あれ?これって予約リスト?」
「そうですよ。モー子さんのところに忘れてたみたいで持ってきてくれたんです」
蓮が用意した皿にオムレツなどを盛り付けながらキョーコが言う。
社は「へぇ」と言いながら、まじまじとそのリストを見た。
「どこまで終わったの?」
「配達まで終わったのは上の4つまでで、その下から2つが払い込み待ち。3つが衣装を作ってる途中で、5つは衣装の注文待ちです。あと、取り掛かったばかりなのが3つで、あとは手付かずですね」
「うわっ、大変だね!ちゃんと睡眠時間あるの?」
「一応は…。隈なんて作ったら、プロ失格ですからね。削れば時間が確保できるんでしょうけど…」
「ダメよ、キョーコ!急かすこと禁止、いつまでも待てることが条件で注文を受けてるんだから、自分のことを優先しなさい。前払い制じゃなくて、出来てから払い込むシステムにしてるんだから、気にすることなんてないわ。相手だって、アンタが活動の片手間でやってることわかって注文してるんだし」
琴南の勢いに押されたのか、よくわかってなさそうな表情のまま頷くキョーコ。
社も琴南に賛同して「そうだよ」と言っている。
一人、話が見えない蓮は何だかつまらない気分になった。
「………あの、何の話ですか?」
基本的にあまり他人の事に興味はないのだが、キョーコのことは知りたいと思い、そう問う。
何故知りたいと思うのかは、やはり気付いていない。
「あ、ごめんね。話わからなかったよね」
「人形の注文リストの話よ」
「人形?…あぁ、そういえば、本を出してるとか…」
「本の方はデフォルト人形の作り方しか載せてないのよ。こういうやつ。貴方も作ってもらったら?」
そう言って琴南が見せたのはショッキングピンクが目に痛いキョーコ人形。
よく特徴を捉えていて、可愛らしい。
「あ、いえ…俺はいいです。男だし、そういうのは…」
「作ってもらいなよ、敦賀くん。俺も持ってるし、男でも結構キョーコちゃん人形持ち歩いてる人多いよ」
「え?」
「キョーコが作る人形は魔よけのお守りになるのよ。持ち歩いてると、突っ込んできた車が操られたように逸れたり、階段から落ちても無傷だったり、セットが崩れてきても自分だけを避けて倒れてくれるわよ」
「あ、因みに、今のは奏江さんの実体験だから!」
琴南と社のセリフに蓮は唖然とする。
見た目はただのプリティな人形なのに、そんな効果があるなんて…
「俺の場合は、人形を持ってる間は機械を壊さなくなったよ!」
「は?」
「あ。社さんは機械クラッシャーなのよ。ケータイを素手で持ったら10秒で使用不可能になるから、この人に機械類を渡さないようにね」
魔よけの人形を作ってしまうキョーコといい、触っただけで機械を壊す社といい、本当に人間なのだろうか?
思わずそう思ってしまっても、誰も蓮を責めないだろう。
「…あの、でも、今でさえ睡眠時間を確保するので精一杯なのに、作ってもらうなんて…」
「あら、この人形なら30分くらいでぱぱっと作れちゃうから平気よ?」
「そうそう。この子が時間がなくて作れないって言ってるのはこっちだから」
そう言って、キョーコが食事を取る際、普段から座る椅子に置いてあったバックから人形を取り出す琴南。
その人形の精巧さに蓮は絶句した。
「あ、ちょっと、モー子さん!」
「アンタが今作ってるのは『松内瑠璃子』のリアル人形1/16スケール?」
「うん。因みにその衣装はこの前の記念コンサートの服よ」
素人が作った物には見えない。
というか、作れるものなのか?
蓮は琴南の持つリアルな人形をまじまじと見ながら疑問に思った。
が、今の会話を聞いている限り、作ったのはキョーコで間違いないらしい。
確かにこんなのを何体も作っていたら時間がどれだけあっても足りないだろう。
「…………器用、ですね」
「これが器用で言い表せる範囲だと思う?ホント、アンタ、これが本業でもいけるわよ」
「え~?でも、これただの趣味だし…」
「趣味の範囲じゃないって言ってるの!今までの作品の写真見てみる、敦賀くん?確か、レシピとかと一緒にならないようにこっちにあったはずだし…」
そう言って本棚を漁る琴南。
沢山あるファイルの中から一冊引き抜くと蓮に渡した。
「ちょっ、モー子さん!」
「何よ。別にいいでしょ?」
「恥ずかしいじゃない!昔作ったやつなんて今見たらすっごく拙くて…だから、そんなの見るより早く食べましょ?冷えちゃうと美味しさが半減するわ!」
そう主張するキョーコに蓮は少し思案した後、コクリと頷き、琴南から受け取ったファイルをテーブルの足に立て掛ける。
そして、椅子に座ると全員が座るのを確認してから食べ出した。
昨日とは違い、ぱくぱくと遠慮なく食べる蓮にキョーコはにこにこしていたが、そのスピードに違和感を持ち、眉を寄せる。
そんなキョーコに気付いているのかいないのか、蓮はイチゴミルクまで飲み切ると、「ご馳走様。美味しかったです」とキョーコに告げ、食器をキッチンまで運んで、洗うと戻ってきた。
キョーコだけでなく琴南や社がまだ半分くらいしか食べていない中、一人片付けまで終えた蓮は、先程立て掛けたファイルを手に取り開いた。
「ちょっ、敦賀くん?!」
「きちんと冷める前に食べ終わりましたし、構わないでしょう?」
「だから、昔のは恥ずかしくて見せられないって…」
「そんなことないです。どれも素人が作ったとは思えない出来ですよ」
パラパラとめくりながら、完成品の写真を見る。
どれも精巧に出来ており、言われなければ人形だと気付かないほどだ。
その中でも特に完成度の高い作品を見て、蓮はぴたりとめくる手を止めた。
「これって…」
父さんと、母さん………
そう言いそうになって、慌てて口をつぐむ蓮。
そんな蓮の様子を不思議に思った社がファイルを覗き込み、納得したような声を上げた。
「ん?なになに?あ、ヒズリ夫妻か!これは力入ってるよね~」
「本人たちにあげるやつだったから、力が抜けなかったの間違いでしょ。キョーコ、気に入らなくて何体か廃棄してたし」
「うん。特にジュリエナさんの人とは思えない美しさを表現するのが難しくって、最後まで納得いかなかったのよねぇ…」
「………いえ、十分似てると思いますよ」
そう言いながら、そういえば家に飾ってあったな、こんな人形…と思い出す。
家に帰ってきたら、玄関のわかりやすいところにガラスの箱に入れてこの人形が飾ってあって、すごく驚いた覚えがある。
どうしたのか聞いた時、「日本でできた弟子に貰った」と言ってきたな、確か…
ということは、京子さんが父さんの弟子?
すぐに問い詰めたかった蓮だが、琴南と社がいるため、後にすることにした。
「…そう?ありがとう、敦賀くん」
息子の蓮に保証されたのが嬉しかったのか、キューティースマイルを浮かべるキョーコ。
その笑顔に、蓮は頬を紅潮させ、無表情で固まった。
「(…無表情だけど、多分アレって)」
「(落ちたわね、確実に。新たな犠牲が増えたわ…可哀相に)」
固まった蓮を見て、こそこそと話す琴南と社。
キョーコは不思議そうにそんな二人を見たが、よくあることなので気にせず再び蓮に視線を向けた。
「さて、と。皆食べ終わったみたいだし、昨日の続きといきましょうか?」
「と言っても、説明することなんて特にないんじゃない?」
「う~ん、そうかも…じゃあ、とりあえず部屋の説明だけ。昨日言ったようにこの部屋が共同部屋になってて、そこの扉からは書庫に続いてるわ」
「昔の台本とかドラマの原作とか揃えてあるから、興味があるなら勝手に見てちょうだい。因みに、私の台本は黒、キョーコの台本は白い棚に入ってるから」
「あ、はい」
「見るんだったら、私のよりキョーコのをオススメするわ。私、暗記が得意だからあまり書き込んだりしないけど、キョーコのはどう表現すればいいかとか、どう感じたかとか、台詞のスピードとか、細かく書き込んであるから。貴方がどっちのタイプか知らないけど、キョーコの台本の方が勉強になると思うわよ」
「わかりました。ありがとうございます」
琴南の説明ににこりと笑って礼を言う。
確かにキョーコの使った台本を見た方が勉強になりそうだ。
時間のある時読ませてもらおうと蓮は思った。
「あと、そっちの扉はシアタールームに繋がってるから。DVDとかはその奥の部屋にあるわ」
「あ、はい」
「それから、何かキョーコに用がある時は部屋を訪れるより呼び出しなさい」
「ぇ?」
「リビングと寝室は平気だったはずだけど、他の部屋は人形の首や腕や足がバラバラに置いてあるから。あれは夢に出るわよ」
「…はい」
確かにそれは見たくない。
リアルなだけに恐怖感も倍増だろう。
この業界で成功している上、俺の可能性を信じてくれている京子さんを呼び出すなんてあるまじき行動だが、ここは琴南さんの助言に従う方が利口だ。
「他は、そうねぇ…」
「洗濯物は各自で洗って乾燥機で乾かしてるわ。外観を損なうから外に干すのは禁止されてるの」
「それから、予定はそこのホワイトボードに書いてね。出勤と帰宅の時間だけ書けばいいから。それから、他にも連絡事項があったらそこに書いて。俺みたいに何食べたいかリクエストでもいいし」
ホワイトボードのメモ欄に書いてある『お好み焼き』という文字を指しながら社が言う。
今日は、出勤時間は同じで帰宅はキョーコの方が早いらしい。
「わかりました」
「何か気になったことがあったら遠慮せずに言ってね?」
「はい」
優しい同居人に恵まれた。
最初は不安な蓮だったが、何とかやっていけそうだと柔らかい笑みを浮かべた。
「ホント、いろいろ知ってるんだね!」
「殆ど全部、偶然ですけどね…」
あの時、瑠璃子ちゃんの依頼を受けなければ。
あの時、ブラックホールを作ってる敦賀さんを見つけなければ。
あの時、私以外が代マネの仕事についていたら。
あの時――――
言い出せばキリがない。
自分で行動したこともあったけど、最初は全て偶然だった。
「でも、もう流石にないよねぇ~」
「…そうですね。敦賀さんに関しては、もう殆ど言っちゃったと思います」
「敦賀さん“に”関しては?」
「はい。でも、まだせんせ…クー・ヒズリについてが残ってます!」
「あ、そういえば、何で知り合いなの?!」
そうよね、普通は驚くわよね。
ドラマに出させてもらえるようになったとはいえ、ぺーぺーの新人タレントと天下のハリウッドスターであるクー・ヒズリが知り合いなんて。
私自身、今でも信じられない時あるし…
「実は、社長から(ラブミー部の依頼として)帰国なさったクー・ヒズリのお世話係…というか食事係を命じられまして……」
「あ!京子ちゃん、料理上手だもんね!」
「坊の料理、今だ嫌いなものを混ぜた料理を当てられたことないしな」
「実はこの収録で一番楽しみなのが坊の料理を味見することだったりするんだよね~♪」
「あ、ありがとうございます////」
って、照れてる場合じゃないのよ、キョーコ!
ラブミー部の趣旨を話すわけにはいかなくて、伏せて話して、三人とも乗ってくださったのは、助かったけど、脱線してるわ!
今から話すのは私の料理のことじゃなくて、先生と敦賀さんの違いなんだから!!
「そ、それでですね、クーさん(なんかむずかゆいわ…)の食事を作らせていただいたんですけど、凄い量を食べるんですよねぇ…」
「知ってる!“保津周平ブラックホール伝説”だよね!」
「はい。50人前の鍋をぺろりと食べきった上、残ったダシを使って作ったおじやまで食べ切って…あの量がたった一人の胃袋に収まってゆく様は爽快でしたね、ふふふふ……」
「そ、それはすごいね…想像できないや…」
「最初はげんなりしてしまいますよ。見てるだけでお腹いっぱいというか…慣れてしまえば平気なんですけどね」
「え?慣れたの?!それはそれですごいような…」
「それに比べて敦賀さんは空腹中枢が機能してないとしか思えないほど小食なんです!」
先生の息子なら、50人前は無理でも10人前は余裕だと思ってたのに…
あ、でも、“見てるだけでお腹いっぱい”パターンなのかもしれないわ。
それに、奥様の“万人受けしない料理”を嫌がってるのに口に詰め込まれてたって聞いたし…
――ごめんなさい、敦賀さん…もう、食事を強制したりしませんから!
は!思わず反省してしまったわ!
でも、ダメよ、キョーコ!
放っておくと、これ幸いと食事をしないに決まってるんだから、ここは心を鬼にしなきゃ!!
「そうなの?」
「えぇ!朝はコーヒーだけ、昼と夜はコンビニで買ったおにぎりとかなんとかinゼリーとかカロリーなんとかで済まるんですよ!どうやってあの巨体を維持してるのか、今だ不思議でなりません!!」
「うわぁ…きっちりしてそうなのに…」
「他はきっちりしてるんですけど、食事だけは無関心なんです。お腹に入れば何でも一緒、みたいな感じで…マネージャーさんも食事させるのに苦労してるみたいです」
「そうなんだ…親子で結構違うもんだね」
その言葉が欲しかったのよ!
ナイス!光さん!!
「そうなんです!!フェミニストなとことか優しくて寛大なとことかは共通してますけど、食事に関しては真逆と言っていいほどですし、演技の種類だって違いますし、雰囲気は似ててもやっぱり違いますし!親子といっても全然別人なんです!!」
「そ、そうなんだ…」
「はい!せ…クーさんは意外と大人げないんですよ!いえ、全てを包み込むような包容力のある方ですけど、でも、私と本気で大喧嘩しちゃうし!」
「え?!大喧嘩って…京子ちゃん、ハリウッドスター相手に何を……」
「あはは…クーさんが“嫌な男”を演じるので、つい…」
後で優しい人だって知ったけど、あの時は本気でムカついて…今は本心じゃないって知ってるからいいけどね。
でも、あの時はそんなこと知るはずもなくて、信仰してる神にも等しい敦賀さんを侮辱するなんて!ってムキになっちゃったのよねぇ…。
「“嫌な男”?」
「はい。今回の件があって、種明かししてもらったんですけど、私を苛めて敦賀さんに泣きつかせる予定だったらしいです。…私、あの頃“Dark Moon”の現場で結構敦賀さんと一緒になったので、それを知って『追い詰められたら、尊敬してる先輩である彼に頼るんじゃないか』って思ったらしく…」
「でも、何でそんなことをわざわざ?」
「敦賀さんが日本に来てから、ずっと連絡を絶っていたらしいんです」
「え?そうなの?」
「らしいです。敦賀さんは“敦賀蓮”を作り上げるのに必死だったのもあるでしょうけど、クー・ヒズリとは関係ない“敦賀蓮”として自分の力で伸し上がって、地位を築いて、そして堂々と帰るまで接触するつもりはなかったんじゃないか…って聞いてます。敦賀さんはやるからには徹底的に!な人ですからね」
社長がその道を示さなければ、きっと壊れてた。
さっと簡単に掻い摘んで聞いただけだけど、大切な存在を作るつもりはないと言った敦賀さんの辛そうな表情を見たことがあるから…
「でも、クーさんや奥さんのジュリエナさんの方が耐えきれなくなって、その計画を立てたらしいです。クーさん、すっごく親ばかですからね…お世話係を任命されていた際に課題として息子さんを演じることになったんですけど、1つ特徴を教えてくださいって言ったら、息子さんの素晴らしさのオンパレード…正直、嫌がらせだと思いました…」
親バカってこういうのを言うんだ…ってすごく呆れた。
正直、理解できないな…と冷めた目で先生を見た。
でも…久遠少年を演じて、演技を通して“父親”を知って…久遠少年をずっと演じていたいと思うほど、先生のことを好きになっていた。
「息子さん…って敦賀さんのことだよね?」
「はい!10歳くらいの頃を演じさせていただきました…私としては15歳くらいのつもりだったんですけど、10歳頃の敦賀さんの雰囲気に似ていたらしくて…。演技中にばったり敦賀さんに会ったんですけど…本人の前で演じてたんだ、って今すっごく恥ずかしいです……っ」
「あー…、ドンマイ?」
「ありがとうございます…でも、本当に似てたらしいですよ!敦賀さんが思わず私に詳細を教えたのか!って怒って社長とクーさんのところに乗り込むくらい」
「そうなの?それはすごいね!!」
「えぇ、それを聞いた時は嬉しかったですね。それと、敦賀さんと私の作った息子さんはかなりシンクロしてたらしいです!私がお見送りの時に言ったセリフと敦賀さんがクオン・ヒズリに戻って撮ったビデオレターの内容が被っていたらしいですから」
久遠少年なら…って思っただけで、敦賀さんなら…なんて考えなかったのに。
敦賀さんが同じようなことで悩んで、同じような結論に至ったのだと思うと、何だかくすぐったいような気がするわ。
「でもさ、何で敦賀さんはそこまで徹底的に連絡しなかったの?」
「それは…本人ではないので憶測ですけど…ご両親の存在がそこまで重く圧し掛かっていたのではないでしょうか?」
「え?」
「自分の演技が見てもらえなくて、いつも肩書ばかり注目されて…なんて状況だったとしたら、とても苦しかったんだと思うんです。元凶である親を憎めたら楽だったんでしょうけど、大好きなご両親を憎むことなんてできなくて、溜めこんで…耐えて耐えて耐えて…そして、日本で全くの赤の他人として演じることでようやく掴んだ希望。赤の他人だからこそ掴めた希望。赤の他人を貫くことが、“敦賀蓮”であることと同義だったのでは…と思います」
「「「………」」」
「それに…多分、合わせる顔がないとも思ったんじゃないでしょうか?切羽詰まっていたらしく、止める間もなく別れたらしいですから。クーさんはその背を見送るしかできなくて、ジュリエナさんは見送ることさえできなくて、苦しんでいたことに気付けなかった自分は親失格だと思い詰めるほどだったらしいです。敦賀さんは自分のことで精一杯で、“敦賀蓮”を築き上げて、後ろを見る余裕ができた時にそのことに気付いて…二人を傷つけた自分を許せなくて、ますます頑なになってしまったんじゃないのかって思います」
敦賀さんのことはわからない。
あの人ほど広い視野を持っていないから…でも、久遠少年のことならわかる。
シンクロしていたと、敦賀さんも先生も保証してくれたから…
だから、私が久遠少年だったら、きっとこう思う。
――人を傷つけてきた俺に幸せになる権利なんてない…大事な人を作るなんて、どこでだってできない
そして、自分をずっと許さないの。
優しい人だから…ずっとそう自分に言い聞かせて、自分を縛りつけてしまうの。
「今回の騒動でいろんな人が言う“クー・ヒズリの息子”という評価は、そんな敦賀さんを否定しています。苦しんで、苦しんで、作り上げた“敦賀蓮”を否定してます!クー・ヒズリと敦賀蓮は別人なんです!敦賀さんはクー・ヒズリという存在がなくても光り輝いています!それなのに、皆さんはクー・ヒズリとの親子関係を知った途端、敦賀さんの輝きをクー・ヒズリという存在で遮ったんです!!肩書に惑わされて、敦賀さん自身を見ようとしなくなった!!!」
言いすぎかもしれない。
でも、ニュースを見た時、報道陣に囲まれた時、そう思ったの。
敦賀さんの存在は先生の存在で陰るほど、小さくないのにって悔しかった。
役者として本物なのに、あの人の演技は追い付きたくても追い抜こうと思わせないほど素晴らしいものなのに、ハリウッドスターと血が繋がってるのが明らかになった程度で崩れるほど脆くないのに!!
思わず涙が浮かぶ…――泣いちゃダメよ、キョーコ!
「“Dark Moon”の監督である緒方監督が言ってました。父親の存在が大きすぎて、自分は父親の付属品なのではないかって思っていたって…けれど、誰もが比べられても“親子なんだから仕方ない”で片づける中、敦賀さんだけは“貴方とお父さんは別人なんですよ”って自分の存在を肯定してくれたって。それがすごく嬉しかったんだって…。それは、敦賀さん自身も同じ立場だったから欲しい言葉がわかったんだと思います。“クー・ヒズリと貴方は別人なんですよ”って。だから、私が言います」
何もわからないくせに生意気言うなと怒られるかもしれない。
私は貴方じゃないから、貴方をわかってあげられない。
だけど、私が貴方に言いたいんです。
見当違いな言葉でも、私が貴方に…そして世界に訴えたいんです。
「貴方は決して付属品なんかじゃない、日本を代表する素晴らしい俳優です。私が一番尊敬する役者です。意図したことじゃなくても、私を演技で魅了して、私に演技という道を示してくれた、私の光です。貴方が誰の子供であっても関係ありません。私が今まで見てきたのは、目指してきたのは“敦賀蓮”です。そして、これからも変わることはありません」
私にこんなこと言われたって困るだけかもしれない。
世間の反応だって「何言ってるんだ、こいつ」程度かもしれない。
それでも、私が思ったことを伝えたかった…
――貴方は私の道標なんです
私が歩くために必要な存在なんだって……
NEXT→
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ぐだぐだですみません。
詰め込みすぎました…(汗
一人の天使が堕天した。
そのことに天界は騒然となった。
堕天が珍しいというのもあったが、それ以上に堕天した天使がキョーコという天使だったことが大きい。
キョーコは天使の中でも特に真面目で、間違ったことを嫌い、誘惑に強く、純粋で、彼女だけは間違っても堕天することはないだろうと言われていた天使だったのだ。
大天使からの覚えもめでたいキョーコが堕天したことを聞いた者は、誰もが何かの間違いだと思った。
しかし、堕落した罪で捕らえられ、牢獄に繋がれた本人が面会に来た友人たちの前ではっきりと肯定し、その時浮かべていた笑みが純粋だった頃からは想像もつかないような歪んだ笑みだったため、友人たちはそれが事実だと受け入れるしかなかった。
「キョーコ…」
悲しみに満ちた声に俯いていたキョーコは顔を上げる。
「クオン様……」
そこには大天使のクオンの姿があった。
以前なら癒されたクオンの持つ空気が、今は肌に痛い。
そのことに、本当に自分は堕ちたのだな…とキョーコは自嘲した。
「クオン様ともあろう方がこのような所に来るなどもってのほか。早々にお帰り下さいませ」
「そんな悲しいことを言わないで、キョーコ」
そう言って伸ばされた手を思わず避ける。
普通の天使ならまだしも、大天使に触れられでもしたら、火傷するだけでは済まないだろう。
しかし、それが罰なのかも…と考え直したキョーコは今度は避けずにじっとしていると、クオンの手はキョーコの肌に触れる寸前で止まった。
「…ごめん。俺に触れられたら痛いよね」
「……触れても私は構いませんよ」
「俺が構う。君の綺麗な肌が焼け爛れるのを見たくない。それも俺のせいで…」
そう言って手を戻したクオンは悲しそうな顔でキョーコを見つめた。
「何で、悪魔殺しなんて…」
「後悔はしてません。ミモリを守れるなら、私は何だってやります」
あの子は大切な親友だもの。
キョーコはそう言って顔を綻ばせた。
その笑顔は堕天する前と変わらず、堕ちたのが嘘だと信じたくなるほど純粋無垢なものだった。
そして、その理由こそがキョーコが閉じ込められるだけで済んでいる理由である。
普通、天使が堕落する場合は、多くが欲望に負けるというものである。
肉欲を覚えた天使は、他の天使にまで手を出し、自分と同じように快楽に溺れさせようとするため、堕天が明らかになった瞬間、大天使により消滅させられる。
しかし、キョーコの場合、堕天した理由は親友を悪魔の魔の手から守るため…
ある意味天使らしい理由で堕ち、その上、自分から堕天を申告するという滅多にないケースだったため、消滅させるという結論に至らなかったのだ。
だが、堕天したという事実は変わらないため、こうして牢獄に繋がれている。
「でも、君が手を下さなくても、あの悪魔は弱っていた…あのまま時が経てば勝手に死んでいたよ」
「同じようにミモリも、でしょう?あの子があんな男のために死ぬなんて、そんなこと黙ってみてられないわ!」
「それなら、俺たちに相談してくれればよかったんだ!ミモリが悪魔と逢瀬を重ねてるって…そう教えてくれさえすれば、俺たちはどんな手を使ってもミモリを悪魔に逢わせるようなことはなかったし、君も堕天するはめにはならなかったはずだ…」
「だって、約束したんですもの…誰にも言わないって……」
天使らしい理由にクオンは眉を寄せる。
約束は契約…
どんな小さな約束でも、破ることは罪に当たる。
といっても、堕天までは至らず、せいぜい1ヶ月寝込む程度の罰で赦される。
しかし、誰よりも天使らしいと言われていたキョーコだ…そんなキョーコがミモリとの約束を破れるわけがない。
ミモリはそんなキョーコの性質を利用したのだろう…キョーコが思っているほど純粋でも無垢でもないミモリを思い、クオンは拳を握り締めた。
「……君は、これで満足なのか…?」
「はい。あの子に恨まれ憎まれても、あの子を守れたんですもの。私は幸せです」
本当に幸せそうに微笑むキョーコにクオンは泣きたくなった。
「君は、酷い子だね…俺もユキヒトもマリアもカナエも皆、君を大切に思ってるのに、君はたった一人を選ぶんだね。悪魔を殺す時、少しでも俺たちのことを思い出してくれなかったの?」
「……ごめんなさい、クオン様」
キョーコの答えにクオンは絶望した。
誰にでも等しく優しくしていた自分が唯一執着し、特別に想っている彼女。
その彼女にとって、自分の存在は彼女を繋ぎ留めるどころか思い出してもらえないほど小さいものだったのだ。
「…君にとって、俺は…俺たちは何?」
「貴方は、心の底から尊敬する方で、皆さんは信頼できる友人でした」
「……過去形、なんだね」
「私にそう思われていても嬉しくないでしょう?同胞ではないとはいえ、生きる者を危めた咎人ですから」
そう言って穏やかに微笑むキョーコ。
そんなキョーコを見て、クオンは綺麗だと思った。
堕落したとは思えない…まだ神聖なモノにしか見えなかった。
堕ちたキョーコより、自分の方が余程穢れてる。
「…そんなことはない。君は罪を犯しても尚、天使の美しさを失っていないよ。そして、俺は悪魔を手にかけた君さえ…愛しくて仕方がない」
「それは貴方が慈悲深き天使様だから…」
「関係ないよ。俺は他者も自分も愛せない欠けた天使だった。だから、私情を交えず等しく慈悲をかけることができたんだ。けれど、罪を犯した者にまで等しく慈悲をかけたことなんて1度もない…君も知ってるだろう?」
「…はい。貴方が堕天使に制裁を与える役目を担っているのは知っています。…貴方が慈悲を乞う堕天使を赦したことがないことも」
「そう。だけど、君だけは違う。君が慈悲を乞うならいくらだってあげる。制裁なんて頼まれてもしてあげない。ドロドロになるまで甘やかして俺なしでは生きていけなくしたい」
今まで押さえてきた感情が溢れ出す。
誰にでも等しく優しい天使を望まれていたからそれを演じてきた。
けれど、キョーコの堕天と残酷な言葉にタガが外れた。
「ねぇ、キョーコ。君に触れたい。君を愛してるんだ。そして、君に愛されたい」
「く、クオン様っ?!」
「ミモリを想うよりずっと強く俺のことを想って?俺だけのモノになって」
そう言って再び手を伸ばすクオン。
伸ばした先はキョーコの頬…その手が滑らかな頬に触れたにも関わらず、キョーコの皮膚が焼け爛れることはない。
それが示すのはただ一つ。
「クオン様っ!駄目です!踏み止まって下さいっ!!」
「だって、君に触れるには堕ちるしかないだろ?」
「駄目です!今なら引き返せるっ…貴方は闇に堕ちてはいけません!!」
「堕ちた先に君がいるなら、俺は地位も立場も天使であることも捨てるよ」
「駄目ぇっ!誰か!!誰かいないの?!お願いっ、誰か来てぇぇえ!!!」
キョーコの叫ぶ声が牢獄に響き渡る。
叫びながら、クオンから離れようとするキョーコをクオンは抱きしめ、その唇を奪おうと身を屈めたその時…
クオンを牢獄の出入口で待っていたユキヒトが駆け付け、二人の体勢を見て顔を青くして絶叫した。
「クオン!お前、何やってるんだ!そんなことしたらキョーコちゃんの肌が…」
そう言いかけて、手が触れている頬の状態に気付く。
「なん、で………クオン、まさかお前…」
「えぇ、堕天しましたが、それが何か?」
「それが何かって、そんな軽く……それに、堕天したにしては禍々しいオーラがないぞ?」
「でも、彼女に触れることができる…それが何よりの証拠でしょう?」
クオンほどの力がある天使に触られれば、善良な天使ならば癒しを覚え、傷は癒えるが、堕天使ならば発狂するほどの痛みを伴う。
酷い時には、皮膚は焼け爛れ、骨は溶け、臓器は破裂する。
クオンの持つオーラにあてられるだけで気絶してしまうこともあるのだ。
それにも関わらず、堕天したキョーコに害を及ぼすことなく触れられるのは、同じように堕天したからとしか思えない。
しかし、堕天したには違和感があった。
「ユキヒトさん!クオン様はまだ間に合います!そういう欲望を抱いただけで、まだ堕ちていませんっ」
キョーコのその言葉にはっとすると、ユキヒトはクオンをキョーコから引きはがし、キョーコに背を向けた状態でクオンを見据える。
「クオン、駄目だ。堕天したその先は破滅だぞ!」
「消滅させられるってことですか?」
「そうだ!馬鹿なこと考えてないで、正気に戻れ!」
「俺は正気ですよ。それに、俺以外の大天使は優しいだけで他者に罰を与えることができるような天使はいませんからね。俺が堕天しても消滅させられるかどうか…」
「それがわかってるなら、尚更踏み止まれ!お前がいなくなったら困ったことになるくらい見通してるだろ?」
ユキヒトは必死に説得しようとする。
しかし、クオンはそんなユキヒトを嘲笑うかのように口元を歪めた。
「別に、俺には関係ありませんね。キョーコが手に入るなら、他の何を失っても惜しくはありません」
「………本気か?」
「もちろん」
眉を寄せ、睨み付けてくるユキヒトにクオンは笑顔で肯定する。
そんなクオンの本気を感じ取ったキョーコは、鎖で繋がれた腕を持ち上げ、ユキヒトの服を掴んだ。
「っ………」
「キョーコちゃん?!ダメだよ、触ったら!クオンほどじゃないけど、俺も上級の天使なんだよ?」
痛みに呻いたキョーコに気付いたユキヒトは慌ててキョーコから離れる。
服を掴んだ手は赤く腫れ、痛々しいことこの上ない。
そんなキョーコの手を見て、クオンはギロッとユキヒトを睨んだ。
「彼女に怪我を負わせるなんて…」
「ユキヒトさん。私、クオン様を堕天させない方法考えました」
クオンの言葉を無視するような形でキョーコがユキヒトに向かって微笑む。
堕天しかけているクオンより、余程天使らしい笑みを浮かべたキョーコに、ユキヒトは「ホント!?」と喜んだ…のもつかの間のことだった。
「私を消して下さい」
音が消える。
シーンと静まり返った牢獄で、キョーコは再び言った。
「私を消して下さい、ユキヒトさん」
二度目の言葉にはっと我に返ったユキヒトは青ざめてキョーコを見た。
「何言ってるの、キョーコちゃん!そんなことできるはず…」
「クオン様が堕落しないためには元凶が消えることが1番手っ取り早いでしょう?大天使候補のユキヒトさんなら堕天使を消滅させる権利を持っていますよね」
「駄目だ!そんなことさせないっ…そんなことしたら、俺はユキヒトを殺すよ」
「何言ってるんですか、クオン様!貴方は今正気じゃないだけなんです!きっと、元凶の私が消えれば戻るはず…」
「戻る?そんなわけないだろ!君を愛しく思うこの気持ちは今限りのものじゃない。ずっと、ずっと、抱いてきたものだ!君がいなくなってしまったら、俺は完全に狂気に呑まれてしまうよ?」
その真剣な目に嘘がないことに気付いたキョーコはびくりと震え、ぎゅっと火傷した手を握る。
クオンは当惑したように瞳を揺らすキョーコに微笑み、手を伸ばした。
が、その手はユキヒトに遮られる。
完全に堕天したわけではないため、触れられても痛みを伴うことはなかったが、邪魔をされたことを不快に思い、ユキヒトを睨んだ。
「クオン、堕ちちゃ駄目だ」
「まだ言いますか…」
「当たり前だろ!それにな、お前が堕ちてもそこにキョーコちゃんはいない」
その言葉にぴくりと反応するクオン。
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。キョーコちゃんは確かに堕天した…でも、その罪は消滅させられるほどのものじゃない。だけど、お前が堕ちるとしたら肉欲…消滅対象だ。キョーコちゃんは誘惑に強い天使だからな、お前が抱いてもお前と同じところに堕ちてくれる可能性は低いぞ?一緒に逃げようとしてもキョーコちゃんが罪から逃げるようなことをするとは思えないし、そうすると傍にいるためには必然的にお前も残らなくちゃいけない。そうなればお前はジ・エンドだ。それに、キョーコちゃんは堕落して歪んだとはいえ、天使らしさを失ってない。無理矢理奪うようなことをすれば軽蔑されるぞ」
ユキヒトの言葉にクオンは険しい表情を浮かべるが、その言葉を否定したりはしない。
キョーコの性格はクオンだって…否、クオンの方が知っている。
数多くいる天使の中でも特に純粋無垢で、潔癖で真面目で、嫌いなものには闘志を燃やして、考えたら一直線な性格。
欲望に忠実になることに嫌悪している節のあるキョーコに手を出したら、それこそユキヒトの言うように瞬殺だろう。
「じゃあ、どうしろって言うんだ!堕天使の彼女に触れるには、同じように堕天するしかないじゃないかっ!!」
「………キョーコちゃんを氷の牢獄に入れる」
「なっ?!あの牢獄は……」
「堕天した天使の歪みを元に戻すための場所だ。特例の場合しか使われないけど…キョーコちゃんのケースなら特例として認められるはずだ。出られるのがいつになるかはわからない。だけど、身体を覆う氷が溶ける頃には、穢れが浄化され、罪が洗い流されるはずだ」
「だけど、あの牢獄は浄化するに値すると判断されなければ、氷漬けにされた瞬間砕け散るって…」
狼狽するクオンの言葉にユキヒトは頷いて肯定する。
今まであの牢獄に入れられ、無事に出て来れたのはそれこそ数えるほどしかいない。
たいていの場合は、氷漬けにされた瞬間、砕け散って、跡形もなく消滅する。
「そんなところにキョーコを入れるなんて…っ」
「………クオン様、ユキヒトさん。私、そこに入ります」
「キョーコ?!」
「それが最善でしょう?違いますか?」
「だけど……」
「因みにクオン。ここからキョーコを連れて逃げようとした場合、問答無用でキョーコちゃんを氷漬けにするからな!手順を踏まず氷漬けになった場合、氷が溶ける速度は倍くらいかかるんだぞ?お前の炎を持ってしても浄化の氷は溶けないからな!」
ユキヒトの言葉に反射的に伸ばした手が止まる。
ユキヒトを振り切って逃げるのと、ユキヒトがキョーコを氷漬けにするのと、どちらが早いかと問われればユキヒトの方が早いに決まっている。
まだ大天使候補でしかないが、持つ力は大天使に匹敵し、特に氷の能力はずば抜けているのだ。
「でも……」
選択肢はないというのに、それでも渋るクオンにキョーコはそっと手を伸ばし、その頬に触れた。
「クオン様」
「キョーコ?」
「私の我が儘、一つだけ聞いてもらえませんか?」
「…何だい?」
「私が出て来るまで待っていて下さい。私の尊敬するクオン様のままで…」
堕落することなく、誰にでも等しく優しい慈悲の大天使でいて下さい。
誰もが尊敬する光輝く存在でいて下さい。
キョーコの言葉にクオンは黙ると、困ったように眉を下げ、情けない顔で微笑んだ。
「外ならぬキョーコの初めての我が儘だ、聞いてあげるよ」
「ありがとうございます」
「…代わりに俺もお願いしていい?」
「何ですか?」
「キョーコの耳飾り、キョーコが出て来るまで俺に預けてくれないかな?少しでもキョーコを感じていたいんだ」
「あ、はい…」
思わぬお願いに驚きながらも頷いたキョーコはクオンの頬から手を離して自分の耳飾りを取ると、クオンに渡した。
クオンはそれを壊れ物を扱うように慎重に受け取ると、柔らかく微笑む。
「あと、もう一つ。…キョーコが出て来たら誰よりも先に君を抱きしめる権利を俺にちょーだい?」
「え…?」
「駄目かな?」
「……わかりました。代わりに、堕天しちゃったから、今度は貴方に触れられない…なんてオチはやめて下さいね?」
くすりと笑って冗談を言うキョーコにクオンも笑って「もちろんだよ」と言った。
そんな二人のやり取りを見守っていたユキヒトは「そろそろ…」とクオンを促す。
「…多分、君が出て来れるようになるまで会うことは赦されないと思う。俺は堕ちかけたからね。再び凶行に出るかもしれないって判断されるだろうし、俺にもそうならない自信がない。だから…今度は、君の好きな花畑で会おうね?」
「はい…今度は青空の下で」
堕ちて、狂気を孕んだ笑みを浮かべていたキョーコからは想像できないほど無邪気な笑みを浮かべたキョーコに見送られ、クオンはそこから立ち去った。
振り向いたらキョーコを連れて逃げてしまいたいという衝動を堪え切れなくなる自覚があったから、一度も振り向くことなく…
「会いたかったよ、キョーコ」
破顔した男が現れた女を抱きしめた。
風が吹き、花びらが舞う。
青空の下、再会は果たされた―――――
―――――――――――――――――――
悪魔×天使はよく見るけど、天使×天使は見ないなぁっと思って書いてみました!
相変わらず、消化不良…
書きたいところを書くと満足しちゃうんですよね~。
ってか、堕天使のキョーコより大天使のクオンの方が危ないってどうよ?
因み、私も最初は悪魔×天使が思いつきました。
「ずっとずっと君だけを見ていた…君だけが欲しくて、だけど君は俺たちが嫌いだから、ずっと我慢してたんだ。だけど、ようやく堕ちてきてくれたね…。邪魔な羽はいらないよね、キョーコ?もう離さないよ、俺だけの天使…」
みたいなヤンデレ系。
いや、天使クオンも十分ヤンデレな気がしますけどね。
『あはは~、何言ってるんですか。敦賀さんですよ?引く手あまたなのに、私みたいなのに手を出すわけないじゃないですか~。実際、お風呂をお借りさせていただいた時に『君みたいな地味で色気もない女の子に手なんて出さないよ』って鼻で笑われましたもん』
そう言ってケラケラと笑う少女。
そんな少女の発言に顔を引き攣らせる三人。
それを見た社は、じとーと顔を引き攣らせてる蓮を見た。
「蓮…お前、キョーコちゃんにそんなこと言ったのか?!」
『ホントにそんなこと言われたの?!』
「………口には出してませんけど、そんなニュアンスで鼻で笑ったのは事実ですね」
『え?まっさかぁ~。紳士の敦賀さんが思っても口に出すわけないじゃないですか!』
『『『「(紳士なら例え思ったとしても態度にだって出さないよ…)」』』』
少女の反応に引き攣り笑いしかできない石橋姓三人。
反応に困っている三人に同情しながら、社は呆れたように蓮を見た。
「お前なぁ…いくら仲が悪かったからってそんな対応することはないだろ」
「…それくらいやらないと遠慮してお風呂に入らないと思ったんです。俺のせいで帰れないのだから、風呂くらいは…と思って」
「……キョーコちゃんがお前を意識しないのってさ、あの子の曲解もあるけど、お前が最初にそんな態度を取ったからじゃないか?」
「……………………反省してます」
これで、一人暮らしの男の家に夜中に押し掛けてくる理由が明らかになった。
最初、そういう対応を取ったせいで「自分はそういう対象として見られることはない」と思い込んで、蓮を“男”のカテゴリーから外しているのだ。
道理であれほど無防備なわけだ…
『きょ、京子ちゃん!』
『はい?』
『地味で色気がないとか、そんなことないからね!京子ちゃんはちゃんと魅力的な女の子だからね!』
「……この男…」
「れ、蓮!ここでフォローするのは男として当たり前だから!!」
『お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます、光さん』
『お世辞じゃなくて、本当に…っ!!』
『はいはい、リーダー!ストップ~~!!!』
『そうそう。脱線してるよ~~』
言い募るリーダーに慌ててストップをかける二人。
首を傾げる少女。
そんな映像を無言で見つめる二人。
「………馬の骨か」
「(うわぁん…闇の国の蓮さんが降臨しちゃった……)」
ぼそりと呟く蓮に青ざめる社。
そんな社に気付くことなく、画面に映るリーダーを冷めた目で見つめる蓮。
社は「ご愁傷様、石橋くん…」と手を合わせた。
『え、えっと、京子ちゃんってホントに敦賀さんと関わりがあるんだね~』
『そうですね…そういえば、驚くほど多いですよね。“Dark Moon”でも共演させていただきましたし』
『そうそう!すごかったよねぇ、京子ちゃんの未緒!!坊と本当に同一人物なのかって思わず目を疑っちゃったもん!』
『あはは…素だとあまり気付かれないんですよねぇ…』
『仕方ないよ。全然雰囲気ちがうしね。“Dark Moon”といえば、敦賀さんの“嘉月”すごい反響だったよね!特に“美月”だけに見せるあっま~い笑みとかさ、無邪気な表情とかさ!あんな演技ができるなんて、流石は敦賀さんって思っちゃったよ』
『…そう思いますよねぇ』
『え?どういうこと??』
『実は敦賀さん、その演技に辿り着くまで“嘉月”ができなくなってしまったんですよ』
深刻な表情でそう言う少女に三人は驚く。
それを見ながら、やっぱり驚くよなぁ…と社はうんうんと頷き、蓮をちらっと見る。
蓮はその頃のことを思い出したのか、苦々しい表情をしていた。
「…その節はご心配をおかけしました」
「いいんだよ…俺より、キョーコちゃんに言えって!わざわざ鶏になって来てくれたり、お弁当を届けてくれたり、演技にも付き合ってもらったんだからさ」
「そうですね」
その上、恋愛相談にも乗ってもらったのだ。
相談に乗った本人も、きっと“自分の嘉月”を見失ったことを相談するのだろうと思っていただろうから、最初から恋愛指導をするつもりだったわけではないはずだ。
恋について聞いた時、一瞬「なんだ…」って雰囲気になってたし。
―― 些細な幸せが伴えば、それが…… ――
そういえば、その言葉は自分の経験談だったのだろうか…?
だとしたら、嫌な記憶を思い出してまで答えてくれたということになる。
ゴキブリがどうのこうのと言っていたのも、経験談を話そうとして、思い出して、怒りを解消するための行動だったのかもしれない。
そう考えると悪いことをしたな…と思うと同時に、それほど心配してくれたのか…という喜びも湧いてくる。
――あぁ、この病は本当に進行が早い…
気にかけてくれた…それだけで、幸せになってしまう。
あの時は、鶏に劣っていると言われたようで釈然としない…とさえ思っていたのに、中身が彼女だと知った途端、喜びと情けなさと苦々しい感情が溢れてくる。
でも、仕方ないよな。
あの男との運命なんてぶち破る…神に逆らっても――
そんな感情を抱かせる唯一の存在なのだから…。
『えぇ?!それってスランプになったっていうことだよね?』
『はい。抑えきれないほどの恋情…それを表現できなくて、敦賀さん自身もそれを自覚していて、自分に合う“嘉月”を探して何度もリテイクを繰り返していました。それでも、見つけられなくてカットされる前に自分で演技をストップしたりだとか…』
『リテイクなしで有名な敦賀さんが……って、これも話しちゃって良かったの?』
『えぇ…監督や社長には許可をいただいていますから』
『そっか!でも、意外だなぁ…敦賀さんって百戦錬磨ってイメージあるし…』
『確かに。あ、でも、恋愛に淡泊なイメージもあるなぁ…“来るもの拒まず、去る者追わず”って感じでさ。それか、ゴシップなしで有名な人だし、恋愛に興味がないとか』
少し、当たってる。
“来るもの拒まず”…ではなかったが、“去る者追わず”ではあった。
「他に好きな人ができたの」「一緒にいる方がさみしいわ」「あなたと私では好きの重さが違うのよ」
同じような言葉を言い残して去って行った彼女たち。
そんな彼女たちの心変わりをあっさり受け止めた俺。
引き留めようとしたことなど一度もなかった…それは、俺が彼女たちを“好き”ではあっても“愛して”はいなかったから。
その違いがわからなくて、ある意味“遊び”より酷いことを彼女たちにしていた。
恋を知った今だからわかること…
「ぐ~ふ~ふ~。るぇぇぇん。結構当たってるなぁ~」
「…何がですか?」
「“百戦錬磨”“恋愛に淡泊”“去る者追わず”」
「………そんなことないですよ」
「キョーコちゃんには、だろ?過去のお前はそうだったんじゃないのか?」
「(何で社長といい、社さんといい……っ)」
図星を突かれ、むっつりと黙りこむ蓮。
沈黙は肯定だぞ!と社はにやにやと笑った。
『いえ、ただの恋愛下手みたいですよ』
『『『え”?!』』』
『なので、恋の演技がわからなくて嘘くさくなってしまったみたいです。監督に休みを取らされて、社長には演技テストをして自分が納得できなかったら役から降ろすとまで言われて…でも、自力で“嘉月”を作り上げて、見事演じ切ったんです!』
『え、ちょ、恋愛下手ってとこはスルーなの?!』
あっさりスルーして、すごいですよね!と微笑む少女に左側にいた青年がツッコム。
それを見ながら、そのままスルーしてくれないと困るんだけど…と蓮は頭を抱えた。
ここでは大切な人は作れないだの、ロックをかけるだの、いろいろ話してしまったが、あの時は吐き出す場所が欲しくて…それで、つい甘えてしまったが、今となっては恥ずかしすぎる…。
『だって、話すような内容じゃありませんし…あ、でも、恋愛をしたことがないってわけではなかったみたいですよ。ただ、それは恋じゃないってある人に否定されて…恋愛のマニュアルがあるなら欲しいとか呟いてました』
『へ、へぇ…何か意外だな…』
『芸能界一イイ男が恋愛下手…正直、信じられないわ…』
『ですよね!私もすごく驚きました。「この歳で恋をしたことがないのっておかしいか?」って聞かれて、歳というよりその顔で恋をしたことないなんて詐欺だ!って答えちゃいましたね』
『素直だね、京子ちゃん…でも、そんなこと言って大丈夫だった?』
『あ、その時も“坊”だったんですよ』
『なるほど』
納得する三人にあはは…と空笑いを漏らす少女。
社は蓮を見ながら「確かに詐欺だな」と呟いて、ギロリと睨まれた。
「…悪かったですね、恋愛音痴で」
「お!認めたな!最近は素直で、お兄さんは嬉しいよ!!」
「誰がお兄さんですか、誰が」
そう呟きながら、少女を見て溜息を吐く。
恋愛を拒否している少女に恋愛指導してもらった上、恋愛下手と評価される…
――俺って…
鈍感でそっち方面が壊死している少女より恋愛レベルが下だったかと思うと、情けなくて涙が出る(いや、実際には出ないが)。
蓮は落ち込みながら、それでも「この番組は俺のため、最上さんの行動は俺のため…」と自分に言い聞かせて、画面を眺めたのだった。
NEXT→
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恋愛初心者な蓮が愛しいです(笑
「好き……誰よりも、貴方のことが――――」
はっ…
目を開くと見慣れた天井。
ここがどこだか理解した蓮ははぁ~~と深く溜息を吐いた。
「夢、か…」
わかりきっていることなのに、現実だと思ってしまった。
こんな都合の良い出来事が現実であるはずがないのに。
いったいいつになったら自分の学習能力は働くようになるのだろうか…?
蓮は進歩のない自分に落ち込みながら、ベットから出ると、渇いた喉を潤すためキッチンに向かった。
その際に、テーブルの上にあるはずのないものを見つけ、立ち止まる。
「食事?」
もしかして、彼女が来ていたのだろうか?
だけど、それならどうやって中に?
どうしてここに姿がない?
蓮は記憶が曖昧な今日の出来事を思い起こす。
確か、今日は珍しく早く仕事が終わって、そして、たまたまあの子に会って。
社さんが彼女に「蓮がまた最近食べてないみたいなんだよ~。キョーコちゃん、ご飯作ってやってくれない?」って頼んだんだよな?
じゃあ、ここに食事があってもおかしくないわけで…でも、何で姿がないんだ?
えっと…その後確か、何故か最上さんは戸惑ってて、拒否されたみたいに感じて彼女の苦手な笑顔で脅すような形で了承させたんだったよな…
で、家に連れ込んで、拒否しようとした理由を聞き出そうとして……
――好き……誰よりも、貴方のことが―――敦賀さんのことが、好きです……
そう言って彼女は泣いたんだ。
言葉も、熱っぽい視線も、紅潮した頬も信じられなくて…
頭がパンクして、俺は………
蓮はそこまで思い出すと、はっとしてベットに戻り、サイドテーブルに置いてあったケータイを掴む。
そして、発信履歴から目当ての電話番号を探し当てると、通話ボタンを押して、耳に押し当てた。
『…………はい』
暫くして、キョーコが電話に出る。
その声は掠れていて、蓮の胸がズキンと痛んだ。
「最上さん?俺だけど…」
『……私に"俺"という知り合いはおりません。それでは、失礼させてい』
「待ってくれ!頼むから、話を聞いて!」
『話すことなんてありません。気絶するほど嫌われていたとは思っていませんでしたが、そこまで嫌われてるのでしたら、もう近付きませんので…』
「冗談じゃない!近付かないだって?そんなの許さないよ」
思わずカッとなる。
怒鳴るように叫んだ俺に戸惑っているのがケータイ越しでも伝わってきた。
「今、どこ?」
『……そんなの、敦賀さんには関係な』
「今、どこ?」
有無を言わさぬ響きにキョーコは黙り込む。
蓮は沈黙も許さないとばかり、「今、どこにいるの?」と畳み掛けるように問う。
キョーコは少しの間黙ったあと、注意して聞かなければわからないほど小さい声で呟いた。
『…〇×公園の近くです』
「〇×公園だね。わかった」
まだ下宿先に着いてなかったことにホッとする。
〇×公園なら、ここからそれほど離れていない。
思っていたより気絶していた時間は短かったようだ。
「今から行くからそこで待ってて」
『え?』
「いいね?待たずに帰ったりなんかしたら、君の下宿先に押しかけるからね?」
『なっ………』
「じゃあ、行くから」
『まっ―――――』
返事を聞かずに通話を電源ごと切る。
そして、車のキーを手に取ると、ジャケットを羽織って玄関に向かった。
「逃がさないよ、最上さん。例え、君の言葉が気の迷いだったとしても…―――」
俺は君を捕まえる。
―――――――――――――――――――
短いっ!!
ただ、情けない蓮が書きたくて書いてみただけの話でした。
蓮はキョーコちゃんに告白されたら喜ぶより先に疑うか夢だと思いそうです。
キョーコもそうだと思うなぁ…